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市指定・彫刻

十王堂木喰(じゅうおうどうもくじき) 仏像 12体

所在地:柏崎市関町4-34 十王堂

エンマ大王

廻国納経(かいこくのうきょう) ・千体物の造刻を 誓願(せいがん) して諸国を行脚する木喰五行上人(1718〜1810)は87才の時に2度目の越後入りをした。

柏崎西ノ入での第1作には文化元年9月8日・柏崎での最後作には文化2年6月21日と銘がある。この9ヵ月間に72体もの仏像をのこしている。

このうち、十王堂の木喰仏文化元年(1804)11月9日銘の第一作から翌年2月11日銘までで12体がある。

いずれも木喰仏代表作と称されているが、 古今独歩 ( ここんどっぽ ) 融通無碍 ( ゆうずうむげ ) の作風による独特の 憤怒 ( ふんぬ ) 相をもった 葬頭河婆(しょうずかばばあ) ( 三途河婆(しょうずかばばあ) )や、微笑佛の本領そのものである 頻頭盧(びんずる) ( 賓頭盧(びんずる) )尊者は特にすぐれている。その他に閻魔大王をはじめとする十王尊がある。

以上 柏崎市教育委員会 編集・発行 「柏崎市の文化財」1982/2/15より

葬頭河婆十王尊
葬頭河婆十王尊
びんずる尊者閻魔大王
頻頭盧尊者閻魔大王

十王堂のお堂

柳宗悦額
柳宗悦さんの書

ここ枇杷島・関町の十王堂は市内黒滝の曹洞宗竜雲寺の末庵で、遠く琵琶島城の栄えていた頃の創建と伝えられている。

火災で焼失したこともあり、現在の堂宇は大正13年改築したもので、代々尼僧が堂守りして来たが、近年無住となった。 この堂名の示す通り、元来エンマ大王で、その眷族とともにこの堂の主であって、明治初年までは諏訪神も併せ祀られていたという。

明治7年に諏訪神が鵜川神社に合祀された際、鵜川のほとりにあった尼寺の千手観音が逆にここに合祀されることになり、その時どうしたわけか合祀された千手観音が本尊の形となり、エンマ大王はじめ眷族は脇仏的な位置に変わり今日にいたっている。

大正13年10月に柳宗悦さんがこの堂を訪れている。

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2006/12/17 UP 作成 NET・陽だまり
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