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曼荼羅の世界へようこそ!


  極楽寺(柏崎市若葉町2-1・篭嶋順弘住職)は昔から「大久保の極楽寺」と呼ばれ桜の名所として、また静かな散歩道として多くの市民に親しまれてきました。このお寺に柏崎市の文化財として「観経」と「涅槃像」の二幅の曼陀羅が保存されています。 ここは昔、北国街道の道筋にあって嘉祥2 年(849)普教坊法印により真言宗の寺として開山、正安2年(1300)に現在の浄土宗に改宗されました。
  曼陀羅とは本来は宇宙の本体を表すものですが、仏画として仏教の布教のために使われるようになりました。主にお釈迦様のことや極楽の様子、またお経の内容をなどがわかりやすく表現されています。 絵でかいた曼陀羅はどこにもありますが、極楽寺の曼陀羅は1丈3尺×9尺3寸と9尺3寸四方の大きさで2幅ともすべて一人の僧が多年の歳月をかけ一針一針刺繍したことに特色があり、精緻を極めた大作であります。
  この二幅とも極楽寺24世住職、単誉上人の供養のため、弟子の単瑞上人が作ったものです 単瑞上人は柏崎市の柳橋の出身で宝暦13年(1763)極楽寺から仏門に入り、のち小田原の大念寺の住職となり72歳で没しました 師を慕う気持ちから一念発起して曼陀羅の製作にかかり「涅槃像」は47歳から3ヶ年間「観経」は文化3年(1806)61歳の時から9ヶ月の歳月をかけ、ただ一人で念仏を唱えながら縫い上げたものです。
  このうち「観経曼陀羅」は阿弥陀仏の極楽浄土を表し、内陣と外陣に別れ、それぞれ意味があります。 「涅槃像」は釈尊が沙羅双樹の下で、頭を北に、顔を西に向けて涅槃に入る様が描かれており、その周囲には諸菩薩、仏弟子、畜類などが悲嘆にくれています。 普通の涅槃像にいない猫がここには描かれておりますが、制作中に猫が現れ自分も入れてほしいと鳴いたためと伝えられています。

  単瑞上人が亡くなくなられた後、「これはもともと、当寺住職の供養のために制作されたものであるから」として極楽寺から願いが出され、桑名藩主、松平定信の計らいで小田原大念寺からこの柏崎の極楽寺に移され今日に至っているものです。移送に当っては大荷物だけに「松平様の大事なもの」という触れ込みで慎重に運び込まれたと言います。

 

戦後、これが工芸品として、また美術的文化財として極めて貴重なものであることが再認識され、昭和48年(1973)に、柏崎市の文化財に指定されました。 寺では保存に神経を使っており、常時本堂に掲示しておくことはせず、毎年、秋の彼岸にのみ、虫干しとして一般にご開帳しております。この日には遠くからたくさんの観覧者が訪れて賑わいます。



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