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木喰仏の世界へようこそ!



「木喰仏」は、木喰上人が残した木彫りの仏像のことで、大正十二年(1923年)民芸運動の提唱者である柳宗悦が木喰仏を発見し、世に紹介したことが切っ掛けで、広く知られるようになりました。その後、地元の郷土史家などが協力して、調査研究が進められ、柏崎地方では約90体の仏像が刻まれ、多くの作品が残っていることが確認されました。 木喰仏は、越後でも米どころの平野部では少なく、作物に恵まれない土地の貧しい人を救う意図で造られたといわれており、特に山間部では医者がいないため、無病息災を願う「薬師如来像」が多く造られています。 これらの木喰仏は、完成期の微笑仏などの代表作が多く、また、現存する仏像が多いことから柏崎は木喰仏の宝庫といわれています。


木喰仏の生みの親である「木喰行道」は、190年ほど前、日本中を回る願を立て、仏像を造りながら諸国をさすらった僧侶といわれています。 仏教では「木食戒」という米、麦、豆などの五穀を断ち、水に溶いたそば粉や木の実を食する戒律を守る僧侶を一般に「木喰上人」と呼びますが、木喰仏の発見後は、木喰上人といえば「木喰行道」を指すようになりました。 その後、木喰行道は76歳で「五行菩薩」、「89歳で「明満仙人」を名乗ったと伝えられています。

  現在、全国で約500体の木喰仏が確認されています。このうち佐渡と越後で290体が発見されており、柏崎、刈羽地区には、その約三分の一にあたる90体があります。 柏崎市で見られる主な木喰仏は、石曽根西之入の安住寺の「三十三観音像」「馬頭観音像」、安田鳥越の大日堂の 「吉祥天女像」「大日如来像」、枇杷島関町の十王堂の「冥土の十王尊である秦江王ほか9体」、上方の中藤宅の「道元禅師像」、大清水の大泉寺の「子安地蔵像」、西港町の潮風園木喰堂 の「大日如来像」 「弘法大師像」 「興教大師像」木村茶道美術館の「秋葉三社大権現像」「天満宮像」、椎谷坂ノ下の 机立観音堂の「普賢菩薩 など13体」、新道 の竜松庵の「弘法大師像」「興教大師像」、半田の薬師堂の「1体」などです。

  柏崎市の文化財として指定されている木喰仏は、「枇杷島十王堂の秦江王など」、「潮風園木喰堂の大日如来像など」です。 特に十王堂の十二体は、木喰仏の代表作と称されており、古今独歩・融通無碍の作風による独特の憤怒相を持った葬頭河婆や微笑仏の本領そのものである頻頭盧者は特に秀れています。また、木喰堂の三体は、光背を含めての一木彫成で、その迫力、豊かな像容が注目される秀作です。



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