ホーム >> 柏崎の情報「陽だまり」 >> ふるさとを歩く >> 米山海岸
笠島駅の北側が直ぐ海岸で車窓から漁船や海水浴場が見える。 駅を出て海岸まで200m位。トイレ・シャワー・休憩所などあり、海水浴シーズンに備え浜茶屋が準備中だった。 曇天で無風のため鏡のような海面だった。 |
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「米山海岸潮の音(しおのね)のみち」は海岸に沿って旧信越線の5つのトンネルを通ります。 この写真では中央の現在複線になっているトンネルの右側にレンガ造りの小さいトンネルが見えます。トンネルを抜けると田塚鼻の西側に出ます。 |
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トンネルの間は海岸側はコンクリートの防護壁が続き、所々の切れ目(出入り口)から海を見る事が出来る。 山側は急な斜面になっていて時々美しい花が目に入る。 左はオオバギボシ。 左下はコシジシモツケソウ。 下はヤマホタルブクロ。 上輪地区の旧国道で見ました。 |
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トンネルを3つ通ると上輪地区の海岸に出ます。 左の赤い上輪大橋の向こうに米山が見え、右の大きい山が旗持山(地図では城山)。 中央が胞姫神社の山。 |
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歩いてきた上輪地区の海岸。漁業権の関係か地区住民以外の魚類貝類の捕獲を禁じている立て札がありました。 |
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明治の中ごろ北越鉄道が直江津から新潟へ鉄道を敷設しました。 私営で出願から2年間で米山峠を鶴嘴で岩を砕き、モッコで運び出すという人力で完成させました。 当時の工法ではトンネルや橋梁でレンガが使われるのが一般的で、急遽柏崎の大久保で作られたレンガが使われたといいます。 現在内部は板で天上や壁を覆って補強してありますが、遊歩道としては照明が暗く水溜りがあり、懐中電灯を用意した方がよいと思います。 |
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米山地区の集落に入ると直ぐ「鉢崎関所跡」と石の標柱と女性の通行手形を定めた制札が目に入ります。 以前訪れたときは脇に松の木があってそれなりの風情がありましたが、切り株になっていました。 「鉢崎」は米山地区の元の地名。「八崎」と書かれた文書もあります。 |
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しばらく通りを歩くと「たわら屋跡」と柏崎市が立てた案内板があります。 松尾芭蕉が奥の細道紀行で立ち寄った宿で、柏崎の天屋(現在の港町の天屋ではなく、西本町石井神社脇にあったという。)へ泊まる筈だったが、断られて鉢崎まで足を伸ばしたと言われています。 この付近に松田伝十郎の生家浅貝家があります。 この通りをまっすぐ行くと国道8号線に出ます。よねやま駅への近道は右に曲がって鉄道線路に沿って西へ進みます。 |
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米山地区の集落に降りる前に三叉路を左へ登ると旧国道へ出ます。更に左へ行くと(道なりに右へ行くと現在の国道8号線)大きな聖ヶ鼻層の露頭があります。曲がると駐車場があり、聖ヶ鼻の展望台となっています。 展望台には松田伝十郎顕彰碑があります。(少し東側の旧国道にあったものを移転。) 広場から海側に登って行くと米山崎灯台があります。 |
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灯台のある聖ヶ鼻の先端は周囲に樹木があり展望がききません。 灯台の脇に小さな祠がありました。 この岬の地名の由来に関係した昔話があります。 この岬で泰澄禅師が修行していたとき、沖を通る船に鉄鉢を飛ばして食物の寄進を受けていた。 聖が住んでいる岬で「聖ヶ鼻」、鉄鉢が飛んでくる岬で「鉢崎」。 似た昔話に米山が関係するものがあります。 |
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聖ヶ鼻展望台を東へ歩いて行くと、現在の国道8号線に出ます。 直ぐ上輪地区へ降りる旧国道へ入り暫くして右へ進むと上輪大橋の下を通ります。 屋根の壊れた廃屋の中を覗いたら弁慶茶屋の看板が見えました。 道路の反対の山側の草が茂っている中に石の鳥居が見えました。 「胞姫神社へ安産祈願に参詣する人が、茶屋で弁慶力餅を食べて急な石段を登った。」と聞いたことがあります。 鳥居の下の草を払ってみると急な石段が見えました。今は胞姫神社の北側を国道8号線が通って力餅は必要なくなっています。 |
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作成 柏崎市立図書館内 NET・陽だまり