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   日蓮上人上陸の地
番神堂 をご紹介します

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番神堂:文化財

 

 柏崎は人口9万人、日本海に面した町で昔からの港町です。この港は国際貿易港で町の中心街から西の方、鵜川の川口と番神岬との間にあります。番神堂海岸段丘で30メートルの断崖になっている切りたった岬です。 200段近い石段を上りつめたところに番神堂があります。ここは眺望がよく柏崎に市街をはじめ佐渡ヶ島、弥彦の山、そして背後に米山が望めます。

 

 番神堂には次のような歴史があります。 今から約700年前、鎌倉時代、日蓮宗を開いた日蓮が「立正安国論」を著し、当時の幕府に献上しました。これは法華経を信じないと政治が乱れ、国が三災七難を受け、このままでは日本は天下の治乱、興亡がおこると予言しています。幕府は大いに怒り日蓮を伊豆の伊東、それから佐渡へ流しました。

 その頃大陸の蒙古が日本に何回となく使いをよこし、交易を求めてきました。そしてこれを断ると大軍で攻撃するといいました。 幕府は日蓮の「立正安国論」が的中したことを知り、文永11年(1274)島流しの罪を許しました。 日蓮は寺泊に上陸する予定でしたが嵐にあい、柏崎の番神岬に流れ着きました。

 


 当時番神堂は西本町の真言宗妙行寺のお堂でした。住職の慈福は深く帰依し日蓮宗に改宗しました。 日蓮は八幡大菩薩の力によって無事上陸することができたと感謝し、菩薩を中心に29神を合祈して三十番神堂としました。この時からこのお堂は番神堂と呼ばれるようになりました。 柏崎の番神は、静岡の番神、九州島原の番神とともに日本三大番神といわれます。

 現在のお堂は明治4年(1871)の大火で焼けた後、当時の住職2代にわたって財をくめんし、7年の歳月をかけて再建されたものです。 大工棟梁は柏崎町の4代目篠田宗吉です。その造りは大変立派で三階節にも唄われています。  「下宿番神堂がよくできた   向拝 向拝の仕掛けは   新町宗吉 大手柄」

 


 お堂の三面の壁面には肉厚の板にすばらしい彫刻がほどこされています。 波と亀、鳳凰と桐、雲と竜のテーマで彫られたものは桃山時代の特徴があらわれているといわれます。 これらの彫刻は脇野町の甚太郎、出雲崎の篤三郎、直江津の彫富の三彫師が宗吉の仕事に参加することに感激し技を競ったといわれています。 お堂は建築、彫刻ともに市の指定文化財です。


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