昔の陣屋の様子
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陣屋は、江戸時代の小藩主の居所或いは
代官、郡代の館を指す言葉で、柏崎市内で
は、「椎谷と大久保」に遺跡として残され
ています。
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椎谷の陣屋址とその実測図 |
椎谷の陣屋は、椎谷藩(初代藩主堀直之)が元和2年(1616年)から明治四年(1871年)に廃藩するまでの約250年間、15代にわたり、領内統治のため、治所として使用されました。
陣屋は、打越の丘に三千坪の規模で構築され、陣屋一帯は、「お屋敷」と呼ばれ、遺跡から想像されるものより遥に大規模なものが建設されていたといわれています。現在、建物はありませんが、藩主邸、勤番所、馬場、砲術稽古場、井戸、土塁、門などの遺構、跡地が残されており、江戸時代の陣屋の姿を忍ぶことができます。
陣屋跡は、新潟県の史跡として指定されており、日本海を前景とする景勝の地にあり、ここを訪れる郷土史研究家などの姿が散見されます。 |
柏崎陣屋絵図 |
柏崎陣屋は、松平越中守が越後領の総支配
所として大規模な陣屋を必要としたため、寛
保2年(1742年)、柏崎の西南部に隣接
する鵜川の左岸の台地(現在の大久保)に東
西百間、南北五十間の大きさで、二段の地形
を巧みに利用した大陣屋が構築されました。
これが生田万の乱で有名な柏崎陣屋で、高
田藩時代に作られた柏崎陣屋と区別するため
「大久保陣屋」とも呼ばれています。
陣屋の組織は、郡代、勘定頭、勘定奉行で
構成される御役所が総括し、50人余で領政
を行なっていました。陣内には、越後領を支
配する御役所、天領を預かる預役所、各郡代
官の詰める刈羽会所などの諸施設、その他、
郡代、役人、その家族が居住する長屋などが
ありました。
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陣屋跡(県庁跡)の石碑 |
明治維新後、陣屋跡に柏崎県庁が設置され
ましたが、明治6年新潟県に統合、廃止され
現在に至っています。
その後、陣屋跡(県庁跡)は、柏崎市の史
跡として指定され、現在は、記念碑が住宅地
の中でその存在を示しているのみですが、
「史跡巡り観光コース」として脚光を浴び、
多くの人々が訪れています。
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