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柏崎市の歴史

資料:柏崎市史(市史編纂委員会)

応仁元年(1467)〜天文10年(1541)


記事末尾の( 号)は「柏崎市史資料集 古代中世篇」の文書番号
西暦 年号 月 日 記    事
1467 応仁元年 7月27日 善照寺の増珎房、寺領段銭の置文を作成する(90号)
. . 12月 斎藤定信、苅羽郡竹町・天神堂の田地を善照寺へ売却する(91号)
. . 12月23日 斎藤定信、苅羽郡竹町等の田地を善照寺増珎房へ売却する(92号)
1468 応仁2年 8月24日 斎藤定信、相伝私領の内から某所を善照寺増珎へ売却する(93号)
. . 8月24日 斎藤定信、苅羽郡原田等の田・屋敷を、善照寺増珎へ売却する(94号)
. . 10月14日 斎藤定信、苅羽郡原田竹町に関する文書を善照寺増珎へ打渡す(95号)
. □□□□ 7月28日 斎藤定信、苅羽郡竹町の名田について証状を作成する(96号)
. □□□□ 正月19日 上杉房定、安田道元に、領内の山木を盗み切る者を成敗することを命ずる(97号)
1469 文明元年 2月23日 専称寺界阿、鹿島神主戸内大夫に対し、鎮守田茶木下田地等を寄進する(98号)
1471 文明3年 2月22日 弥彦神社国中散在御祈祷田に、曽智・吉井保が見える(99号)
. . 12月27日 毛利房朝、毛利重広に討たれる。上杉房定は重広に、忠償として知行地を宛行う(100号)
1472 文明4年 3月3日 上杉房定・毛利重広に、毛利憲朝跡の検断権を認める(101号)
1473 文明5年 8月 善照寺の僧増珎、善照寺領に関する覚書を作成する(102号)
. . 10月15日 上杉房定、和泉天皇寺座中礼物の警固を安田氏に命ずる(103号)
1477 文明9年 12月27日 上杉房定、毛利重広に魚沼郡小国保尾山分を宛行う(104号)
. . 12月29日 上杉房定、毛利重広に魚沼郡小国保諏方分を宛行う(105号)
1478 文明10年 6月17日 柏崎不退寺領をめぐる山論がおこる(106号)
. . 12月18日 善照寺の僧増珎、善照寺領における段銭等の注文を作成する(107号)
. . 12月晦日 毛利重広と柏崎不退寺との山論について、上杉房定は、不退寺の競望を停止し、毛利重広の知行を命ずる(108号)
. □□□□ 善照寺の僧増珎、善照寺領における段銭等の注文を作成する(109号)
1479 文明11年 3月21日 日住上人、本尊曼茶羅に入筆する(110号)
1486 文明18年 7月15日 聖護院道興、越後府中に着く。以後、柏崎・青海川・笠島・鯨波・安田を経る(111号)
. . 6月13日 常光院尭恵、越後府中に着き、柏崎を経て上野へ向かう(113号)
. . 8月21日 屋五郎吉信、上枚原を善光寺へ寄進する(112号)
1488 長享2年 10月9日 万里集九、柏崎に入る。柏崎の市場3,000余家と記す(114号)
1491 延徳3年 11月28日 那智・五郎四郎以下5名、牧原野普光寺寺屋敷を、普光寺へ寄進する(115号)
1492 延徳4年 . 十刹寺院に越後米山寺(117号)
1492 明応元年 . 長尾能景、香積寺の山・屋敷を寄進する(117号)
1493 明応2年 3月23日 南花房珎猷、柏崎・鵜川等の旦那株を売却する(118号)
. . 4月10日 長尾能景、牧の百姓が普光寺へ寄進した屋敷所々を安堵する(119号)
. □□□□ 3月9日 羽黒定成、小山知行分之事を述べ、佐橋御陣にふれる(120号)
1495 明応4年 10月15日 刈羽郡大久保の鋳工、弥彦神社の椎鐘を作成する(121号)
1496 明応5年 8月19日 上杉房能、毛利修理亮の知行を安堵する(122号)
1500 明応9年 3月15日 常源、極楽寺阿弥陀如来像に銘を記す(123号)
. . 10月20日 斎藤頼信・平子朝政、明応年間における本庄氏の反乱において、土佐守某の忠節を長尾能景へ註進する(124号)
1501 文亀元年 8月7日 室町幕府、北野宮寺領鵜川庄半田村の年貢を、守護より徴収するよう北野宮へ命ずる(125号)
. □□□□ 6月19日 長尾能景、不退寺領の山に対する毛利重広の権利を保障する(126号)
1506 永正3年 11月23日 上杉房能、毛利清広から弥九郎(広春)への相続を安堵する(127号)
1508 永正5年 3月7日 左近大夫、西越郡山俣の大須賀分善福寺道場を専称寺へ安堵する(128号)
. 8月17日 長尾為景、苅羽郷琵琶嶋八幡宮を鵜川神社へ寄進する(129号)
. . 8月17日 正藤、苅羽郷琵琶嶋八幡宮を鵜川神社へ寄進する(130号)
1509 永正6年 8月11日 関東管領上杉顕定・憲房父子の越後出陣に際し、斎藤三郎左衛門尉・毛利新左衛門・宇佐美房忠等、上杉定実方に属し、本庄・色部らの軍勢と戦う(131号)
1510 永正7年 2月9日 上杉定実、斎藤昌信・宇佐美房忠からの註進により、築地資茂の戦功を賞す(132号)
. . 2月9日 上杉定実、斎藤昌信・宇佐美房忠からの註進により、築地資茂の戦功を賞す(133号)
. . 4月19日 上杉憲房、苅羽郡荒浜の合戦における発智六郎右衛門尉の戦功を賞す(134号)
. □□□□ 4月22日 上杉顕定、上杉定実・長尾為景勢との一戦に備え、久下信濃守に出兵を要請する(135号)
. . 10月14日 斎藤定信、苅羽郡原田竹町に関する文書を善照寺増珎へ打渡す(95号)
. □□□□ 7月28日 斎藤定信、苅羽郡竹町の名田について証状を作成する(96号)
. □□□□ 1月19日 上杉房定、安田道元に、領内の山木を盗み切る者を成敗することを命ずる(97号)
1510 永正7年 6月12日 上杉顕定、越後における合戦の状況を、長尾景長へ連絡する(136号)
. . 6月12日 上杉顕定、椎屋城合戦で討死する(137号)
. . 6月19日 上杉定実、柏崎方面へ発進する(138号)
. . 8月3日 上杉顕定、椎屋城合戦で討死する(139号)
. . 8月 足利政氏、椎谷の合戦の感状を発給する(140号)
. □□□□ 10月30日 長尾為景、上杉定実柏崎御座のことを平子右馬允に伝える(141号)
1513 永正10年 2月27日 上杉定実、弥彦神社領を買得している者に対し、もとのごとく弥彦社へ返還することを命ずる(142号)
. . 6月28日 箭田与二郎、福泉寺へ日蓮聖人木像を奉納する(143号)
. . 9月29日 宇佐美房忠、上杉定実と長尾為景との対立にあたり黒川・中条氏へ着陣を要請する(144号)
. . 10月23日 長尾房景、為景方に属して守護方の軍勢を破る。為景は守護方の宇佐美房忠が拠る琵琶嶋城へ陣を進める(145号)
. . 10月23日 福王寺掃部助、為景方に属して守護方の軍勢を破る。為景は守護方の宇佐美房忠が拠る琵琶嶋城へ陣を進める(146号)
1514 永正11年 6月13日 この年の1月に宇佐美房忠、為景方との合戦により、柿崎の小野要害で戦死する(147号)
. . 6月22日 5月に岩手要害が落ち、宇佐美一族はことごとく討死する(148号)
. □□□□ 9月15日 宇佐美房忠、荒井浜を黒川氏に返還する(149号)
. . . 宇佐美房忠書状封紙(150号)
1515 永正12年 閏2月7日 長尾為景、上杉定実の意を奉じ、安田景元の山東郡栗田・河根川花前孫四郎分、魚沼郡吉谷内土川名山田分を宛行う(151号)
1517 永正14年 8月3日 長授院妙寿、普光寺領中の人足・飛脚役免除を安堵する(152号)
. . 12月18日 賀陽院大光明寺長典、寺領の鵜河庄紺崎村に対し、公事を免除する(153号)
1518 永正15年 8月 越後国柏崎住人奉納経筒銘(154号)
1519 永正16年 10月13日 米山の法興寺に鰐口が奉納される(155号)
. . □□月□□ 曽地の多多神社が造宮される(156号)
1520 永正17年 2月23日 毛利広春、長尾房景と五十嵐豊六との五十嵐川漁場争いに対し、雪が消え次第守護による検見が実施されることを、房景に伝える(157号)
. . 3月6日 五十嵐川漁場をめぐる相論は為景によって境界分けがなされる。毛利広春は長尾房景に対し、吉益分江代を代官に納入するよう伝える(158号)
. . 10月9日 毛利広春、越中新庄の陣中にて、家来に対し所領相続に関する置文を作成する(159号)
. . 10月9日 毛利広春、越中新庄の陣中にて、おうゑに対し所領相続に関する置文を作成する(160号)
. . 10月9日 毛利広春の家来等5名、広春の置文に従うことを誓約する(161号)
1521 永正18年 . 為景、越後に無碍光衆(一向宗)を禁ずる(162号)
. □□□□ 12月14日 長授院妙寿、普光寺に寺役二千苅の沙汰を命ずる(163号)
1523 大永3年 3月1日 北条輔広、国里名の内三百苅を専称寺に寄進する(164・165号)
. □□□□ . 本願寺実如自署のある御文1冊(166号)
. . . 大般若波羅密多経奥書に越後上条殿の記載あり(167号)
1528 大永8年 6月3日 日護上人、新橋福泉寺の本尊曼荼羅に筆を入れる(168号)
. □□□□ 6月3日 山内重俊、上条兵部・長尾為景より、上田毎子村他2ヶ所を宛行われる(169号)
. □□□□ 12月16日 これより先、毛利丹後守(輔広か)死去する(170号)
1529 享録2年 4月11日 大江広春、専称寺の諸役のうち、飛脚夫馬、師走の祝物の2役を寺へ新寄進として免除する(171号)
1530 享録3年 2月2日 毛利広春室おうゑ、大熊政秀より20貫文の借銭をする(172号)
. . 3月2日 毛利広春室おうゑ、大熊政秀より15貫文の借銭をする(173号)
. . 3月2日 毛利広春室おうゑ、大熊政秀より10貫文の借銭をする(174・175・176号)
. (享録3年) 11月6日 長尾為景・大熊朝秀らと争い、上条へ出馬し柏崎に陣を張る。寺内・大熊・大関らを討つ(177号)
. (享録3年) 11月9日 上条定憲、為景との抗争の戦況を計見四郎右衛門尉に知らせる(178号)
. . 12月7日 本庄房長、為景方に属することを色部憲長に誓約する (179号)
. . 正月 越後国人衆の連判軍陣壁書に、為景が裏書する(180号)
1533 天文2年 3月 日純上人、新橋福泉寺の本尊曼荼羅に筆を入れる(181号)
. (天文2年) 9月20日 安田景元、北条輔広とともに為景方に属し、再挙兵した上条方と北条要害で争う(182号)
. (天文2年) 9月29日 安田景元家中の須賀大炊助ら5氏、安田景元在所における戦功により、為景より感状を給与される(183号)
. (天文2年) 9月29日 長尾為景、安田景元に感状を発給する(184号)
. . 10月26日 長尾為景、上条方退治の願文を鵜川八幡社に納める(185号)
. (天文2年) 11月5日 長尾為景、安田景元に感状を発給する(186号)
. (天文3年) 正月10日 長尾為景、安田景元に北条輔広・高梨駿河守と協力して上条方にあたるよう命ずる(187号)
. (天文3年) 2月9日 長尾為景、鵜川庄への出陣に際し安田景元に協力を要請する(188号)
. (天文3年) 2月9日 安田景元、越中守を称する(189号)
. (天文3年) 2月15日 長尾為景、安田条に関し、玄統息女への改替地の件を守護に取り次ぐことを安田景元に約す(190号)
. (天文3年) 3月10日 長尾為景、上条氏の要害を焼き払うよう安田景元に要請する(191号)
1534 天文3年 5月24日 長尾為景、納下における上条衆と北条衆との一戦での、安田景元の戦功に対し感状を発給する(192号)
. □□□□ . 安田越中守宛長尾為景封紙(193号)
1534 天文3年 8月3日 北条高広、八幡宮社における八千苅の知行を寄進する(194号)
1535 天文4年 正月16日 上条定憲、桐沢における穴沢長勝の戦功を賞す(195号)
. □□□□ 5月29日 宇佐美定満、上田衆・妻有衆・藪神衆・大熊ら上条方とともに、為景方と争う(196号)
1535 天文4年 6月25日 宇佐美四郎右衛門尉、為景方と争う。上条定兼、信州衆らとともに攻勢に転じる(197号)
. . 7月27日 某、あり長名より百苅を鹿島社へ寄進する(198号)
. . 8月2日 上条定憲、琵琶嶋西口における楡井弥七郎の戦功を賞し、感状を発給する(199号)
. □□□□ 8月2日 長尾為景、福王寺孝重に、河東(魚沼郡上田)への放火を要請する(200号)
(天文5年) 4月13日 長尾為景、頸城郡夷守郷三分一原おける宇佐美・柿崎との戦いで芹沢弥四郎の戦功を賞し、感状を発給する(201号)
. (天文5年) 4月13日 長尾為景、三分一原での山村藤蔵の戦功を賞し、感状を発給する(202・203・204号)
. (天文5年) 4月13日 長尾為景、三分一原での平子右馬充の戦功を賞し、感状を発給する(205号)
1536 天文5年 11月17日 北条高広、鹿嶋社の社領三千苅・山屋敷を安堵する(206号)
1539 天文8年 9月1日 齋藤定信・朝信、額分寺の寺領千苅と山屋敷を寄進する(207号)
. . 12月13日 某、八幡戸内の新堂条八幡田を安堵する(208号)
1540 天文9年 4月3日 岸本惣次郎、刈羽郡・柏崎等の旦那16貫文を実方院へ売却する(209号)
. . 6月18日 長尾為景、松山四籠における板谷藤九郎の戦力を賞し、柏崎町居屋敷等を宛行う(210号)
1541 天文10年 10月13日 本願寺証如、越中国浄居寺村の釈永舜の望みにより、西永寺阿弥陀如来絵像に裏書きする(211号)

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