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大正年代の面影残す

「蒼海ホテル」


明治・大正の面影残す蒼海ホテル
@海の柏崎を代表する景勝地、鯨波の御野立 公園つづきの山上に建っている蒼海ホテルは 明治36年9月の創業、鉄道、海水浴と共に 歩んできた、明治、大正の面影を残す由緒深 い旅館である。

日本海に沈む夕日に魅せられて
A明治39年6月、日露戦争の名将、東郷、 上村の両将軍が柏崎を訪れた時、この蒼海ホ テルに宿泊された。この二階にお泊まりにな った部屋がある。  当時の荒浜村の豪商、牧口氏の別邸でもあ った。柏崎町では町内で最も整備された部屋 を準備、町を挙げて歓迎し、最高の礼を尽く した。  その後、建物の内部や外まわり等は手を加 えられているが、玄関付近は今も明治末期の 香りが残っている。

作詞家・荻原朔太郎氏も避暑に来た蒼海ホテル

B大正5年、作詞家萩原朔太郎が避暑がてら宿泊し、一躍彼の名声を高めた『月に吠える』に収められてある「海水浴館」と題する詩を ここで書いている。

   赤松の林をこえて
   くらき大なみは遠くに光っていた
   このさびしき越後の海岸
   しばしはなにを祈る心ぞ
   ひとり夕餉をおわりて
   海水浴館の居間に点ず
              (鯨波海岸)


クラウス・プリングスの避暑先・蒼海ホテル
C1932年より1940年まで、夏になる と避暑のためきまってここに宿を取っていた 外人があった。東京音楽学校教師としてドイ ツ楽壇にその名を馳せていたクラウス・プリ ングストハイムである。  夏のおよそ一ヶ月、日本在住の狭いドイツ 人社交界から徹底して身を遠ざけ、ほとんど 他の外国人が訪れることのない日本海の寒村 鯨波は、彼にとっては恰好の避暑地であった。  1934年、彼は鯨波で一編の作品を書き あげた。「管楽器のための協奏曲作品32」 である。2台のピアノと三管編成のオーケス トラのための、相当大きな作品である。

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