陽だまりホームページ |  柏崎の情報「陽だまり」 | サイの神

サイの神

柏崎市安田中道

  

 1月15日(小正月)、市内各地で「さいの神火祭」が行われてきています。
 この「火祭」に、祖先たちはどのような意味や願いを込めてきていたのでしょうか、安田中道町内の行事を中心に考えてみます。
 戦後途絶えてきていたこの行事も、昔から「子どもたち」が主役であった所から、昭和57年 有志の発案で「子供会」を中心にし復活して定着してきていましたが、最近子供の数の減少などもあり、「さいの神火祭保存会」が新たに組織され継承してきています。
 時の流れには勝てません。

      

最近 農村部にありながらも主材料である藁の確保に困難を来し、購入したり不足分は萱刈りなどで補ってきています。 前日の夜、小学校児童親子と火祭り保存会有志が集い、親子は「櫓」の周りを締めくくる藁束を繋ぎ合わせる縄をない、有志は火祭りの主役を演ずる藁人形の「道楽神」を制作したり、親子で作った縄も使って「のま」を作ります。


 当日の朝、保存会有志の手で櫓組みの作業が行われ、町民各自が持ち寄ってきた「古いお札・正月飾り・ダルマ」や「書き初め」なども、櫓に取り付けられます。 定刻になると、ホラ貝を合図に小学校児童の年男・女の手によって点火されます。 燃え盛る炎をじっと見つめる老若男女の眼の輝きに、古代から今に通じる「火の持つ魔力や神秘感」を、改めて感じさせられます。 頃合を見計らって、参加者が長い竿の先に吊るした「スルメ」「餅」などを焼き健康息災を願います。


     


 「火祭」には、次のような意味や願いが込められてきていました。

  1.  【豊作祈願】冬至を中心に、日も短く太陽の活力が最も衰え大地の冷える時期でもある所から、祖先達は「太陽が死んだ」などと考え、再び太陽の復活を願って大地を暖め、来たる年の豊作を期待してきていました。また「藁人形」のシンボルは「豊穣」の願いの証しでもあります。
  2.  【厄祓い】地域や町内にもたらされるさまざまな災害や厄病などは、人々の持つ罪穢れなどによることがいわれ、それを火によって焼き清める願いもこめられています。
  3.  【年占い】「藁人形」はもとより「心木」には「神が宿る」として、それらの燃え方や倒れ方などによって、新しい年の吉凶を占ってきました。
  4.  【代受苦】「藁人形」は、人々の罪・穢れを一身に引き受けて昇天し、それに代わってもたらされる幸せは、人々の所へってくると考えられていました。※ 以前は「藁人形」が燃える時、「道楽神 の馬鹿が手前の家に火をつけてやっぱこっぱいいやった」などと、繰り返はやしたててきました。どのような意味があるのか、知っている人もいなくなりました。

  1.  【子供守護・厄除け等】「さいの神」は子供の守護神であるとか、書初めの燃えた灰が天高く舞い上がれば上達するとか、「心木」の燃え残りは厄除けになるなどとも云われています。
  2.  【共通広場】 現在では町内の老若男女 大多数が集い、お神酒とスルメで新年を祝い合う共同年賀の場ともなっています。せめても、残された数少ない町民共通広場として、大事にしたいと願っています。

陽だまりホームページ |  柏崎の情報「陽だまり」 | サイの神

作成 柏崎市 NET・陽だまり 連絡はメールでどうぞ