ますます学問にはまり込む市内
成人しても、勉強に精進するだけで、
近所の人とのつき合いはほとんどしませんでした。
一室に閉じこもったきりの、読み書きの毎日でした。
知名度のなかった当時の良寛さんは、
汚(きたな)らしい衣(ころも)を着て、仕事もせず、
ただ子供たちとブラブラ遊びほうける毎日だったので、
いてもいないでもいい存在の人だと
思われていました。
それと同じように
市内もいてもいなくてもどうでもいい昼行灯(ひるあんどん)の
ような存在だったので
「あれは、かぢや(鍛冶屋)良寛だ」と、
噂(うわさ)されるようになり
バカにされました。
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