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偉人伝


星野藤兵衛


星野藤兵衛
 
 柏崎市の西本町の一角にある妙行寺には、 慶応四年(1868)、戊辰鯨波戦争当時、 私財を投げうち、官軍を説得して、柏崎を 戦火から守った勤王家「星野藤兵衛」の墓 があります。  星野家は、柏崎で代々酒屋、質屋を営み 六代目の時、苗字、帯刀を許され、桑名藩 柏崎陣屋御用達の豪商として知られていま した。  現在の柏崎信用金庫跡に屋敷があり、 その東側には古老達が「星野小路」と呼ぶ 小道があります。

御殿山旧跡
 
 藤兵衛は、星野家九代目の主、輝文のこと で、文政十一年から明治9年 (1829〜1878) までの四十九年間の乱世を民間人として世を 支えた人物です。  文久三年(1863)、藤兵衛は郷士となり五十 石を賜り、名実ともに町政を動かす実力者と なりました。その頃、歌人近藤芳樹と出会っ ています。近藤は、剣野の御殿楼を訪ね、 藤兵衛に国の内外の情勢を説く一方、古事記 や万葉集から王政復古への待望を論じ、 影響を与えた人物です。

戊辰の役の御沙汰書
 
 後に近藤が残した「陸路の記」をみると、 戊辰の年に官軍の北陸道総督の一行が越後各 藩の動静を訪ねるため、高田を訪れました。  越後の情勢を訪ねるため、藤兵衛は招かれ 「北越は主戦派と恭順派に分裂し、急いで兵 を進めると流血の惨事を招き、平定に数ヶ月 を要す・・・」と述べるとともに、官軍への支援 を惜しまず、戦火の回避を図り、小熊六郎と ともに柏崎を救った人物として伝えられてい ます。

星野家の写真
 
 藤兵衛は、官軍の戦いを有利に導くため、 情報の提供、作戦の進言をはじめ、莫大な食 料と人夫の調達など寝食を忘れて東奔西走し ました。  戦いは鯨波で終結し、藤衛兵は、柏崎を戦 火から救った人物として、また、明治新政府 の樹立に大任を果たし、その功績は、今も高 く評価されています。  晩年は、剣野山の御殿楼で余生を送り、明 治九年享年四十九才でこの世を去りました。

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