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貞 心 尼

 江戸時代末期厳しい宗教的修行を経て特異な宗教観や芸術的境地を生み出した良寛。その良寛の最晩年に貞心尼は歌作を通して温かい師弟の交わりを持った。
 二人の関係は単なる師弟の関係にとどまらず、魂と魂の人間的触れ合いであった。
 以下優れた人間師匠であった良寛から計り知れない大きな感化を受け、生涯柏崎を愛し続けた貞心尼の生涯を簡単にたどってみる。

貞心尼の肖像 貞心尼は、寛政10年(1798年)越後長岡藩の25石鉄砲台士奥村五兵衛の次女として生まれ、幼名をマスといいました。文化11年(1814年)17歳のとき、北魚沼郡小出島龍光寺(現堀之内町)の医師関長温に嫁ぎました。しかし、生活も環境も合わず、しかも子無しであったため、5年後夫長温とは離縁になりました。


   傷心の貞心はその後実家に一時帰りましたが、まもなく柏崎にやって来ました。幼い頃に長岡の生家に時どき海産物を売りに来た柏崎中浜の女から柏崎の海の話を聞き、強く憧れていたからです。

閻王寺を偲ばせる石柱群閻王寺跡の解説板
閻王寺は現存せず面影をしのばせる石柱が残っている。閻王寺跡の解説板 地図(Google Maps)

 下宿村 新出(しで) にあった 閻王(えんのう) 寺という尼寺で眠龍、心龍という姉妹尼の弟子になり剃髪いたします。眠龍、心龍の許で6年間ほど尼僧としての厳しい修行を続けた貞心は、文政9年(1826年)春、古志郡福島村(現長岡市福島)の閻魔堂に移りました。この間の事情については貞心自身何も書き残していませんから分かりません。おそらく柏崎在住中に各地を托鉢をしているうちに、書家や歌人として高名な良寛の存在を知り、少しでも良寛に近づきたいという気持ちからではないかと推測されます。

貞心尼托鉢像貞心尼托鉢像の解説板
貞心尼托鉢像貞心尼托鉢像の解説板
托鉢像と向い合う歌碑 左の歌碑の解説板
托鉢像と向い合う歌碑左の歌碑の解説板

 文政9年(1826年)、貞心尼は和島村の能登屋木村家の庵居に移住していた良寛を訪れました。貞心30歳、良寛70歳のときでした。この後5年間にわたり歌を通して二人は清らかな心の交流を続けることになります。貞心尼は良寛にまみえた深い喜びと心の高揚を、歌に託して素直にさらけ出しています。良寛もまた貞心と出会ったことにより老いの孤独を忘れるような明るく弾んだ気持ちを持つことが出来たのでした。


 しかし迫り来る老いと病のため、天保2年(1831年)正月6日ついに良寛は木村家の一隅の庵室で74歳の生涯を閉じます。  良寛示寂後、貞心尼は天保4年(1833年)に良寛の墓石建立に尽力し、さらに翌5年師の肖像を小出の雪堂に依頼し描いてもらいます。その間も良寛を尊崇する思いは貞心の心の中にますます強まり、天保6年(1835年)5月1日、貞心は良寛への追慕の念を「はちすの露」というすばらしい歌集に纏め上げたのでした。


「蓮の露」の冒頭てまりの唱和唱和の最終部裏表紙の書き込み
「蓮の露」冒頭てまりの唱和唱和の最終部裏表紙の書き込み

 それから数年のうちに尼僧としての修行の師であった眠龍、心龍を貞心は相次いで失います。心に深い悲しみを受けた貞心は自らの信仰をさらに固めるためでしょうか、眠龍、心龍の兄である洞雲寺の泰禅和尚について得度し、釈迦堂の庵主なります。 釈迦堂跡の地図(Google Maps)
 しかし、この釈迦堂は嘉永4年(1851年)の大火で、貞心尼が長岡に出かけた留守中に類焼してしまいます。この体験を元に、この年「焼野のひと草」が書かれます。その後山田静里らの庇護者の手で広小路にあった真光寺の境内に簡素な不求庵が建立され、ここが貞心の終いの棲家となりました。残念ながら、この不求庵もその後の火災で焼失し、現在西本町一丁目に「貞心尼不求庵跡」の標識だけが残されています。


釈迦堂跡の石仏右側は歌碑
釈迦堂跡の石仏右側は歌碑

 安政6年(1859年)5月長岡から8歳の智譲尼が弟子入りしました。しかし、同じ年の12月8日に剃髪の師であった洞雲寺の泰禅和尚が遷化、さらに3年後の文久2年(1862年)には貞心の最大の支援者であった山田静里翁が物故、貞心尼の身辺は次第に寂しい雰囲気に包まれて行きます。  慶応元年(1865年)良寛詩歌集を上梓する目的で、前橋龍海院の蔵雲和尚が貞心尼の許を訪れました。蔵雲和尚の志を知った貞心尼は心から賛同し激励したものと思われます。こうして慶応3年(1867年)蔵雲和尚によって江戸の芝尚古堂から「良寛道人遺稿」が出版されました。


 慌しい幕末の動乱が終わり、文明開化の新時代明治が動き出して5年目(1872年)の2月11日、不求庵で貞心尼は亡くなりました。75歳の生涯でした。


洞雲寺参道の案内板貞心尼の墓
洞雲寺参道の案内板貞心尼の墓

 貞心尼の墓は洞雲寺の裏山に弟子智徳明全尼の墓石と並んで、ひっそりと建っています。墓石には、
             くるに似てかへるに似たりおきつ波
                        立居は風の吹くにまかせて
という貞心尼の辞世の歌が刻まれており、今もここに貞心尼を慕う多くの人たちが参詣に訪れています。


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2005年12月12日UP 作成 NET・陽だまり    連絡はメールでどうぞ