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説明会は午前と午後の2回。 午前集まった人は約90人で3組に分けて学芸員からの説明を受けました。 この遺跡には約5,000年前縄文時代中期前葉と、約3,000年前縄文時代後期後半から晩期前半ころの「環状集落」と言われる縄文人のムラがありました。 他に旧石器時代(約23,000年前)の石器、平安時代(約1,000年前)の鍛治工房跡、室町時代(約600〜500年前)の墓や珠洲焼(中世の陶器)、江戸時代前期頃(約400年前)の塚などが発見されました。 | |
この遺跡は東に鵜川が流れ、北は日本海(現在は2Kmほどありますが当時はもっと近かった?)、西は米山につながる丘陵地帯という、魚介類や山菜・木の実の採集、動物の狩猟に便利な台地の上で縄文人がムラを作るのに適した場所でした。 発掘現場は穴だらけでした。建物の柱穴の跡で同じ場所に何回も穴を掘って立て直したと見られています。 広場を中心として周囲に住居を作りムラを形成したと考えられます。 | |
たくさんある穴がどう関係しているか分析して建物の様子を推定したり、穴の中の土の色の変化でどんな風にして柱を立てたのか判断したり、緻密な想像力が必要です。 | |
約3,000年前の建物の跡。 柱穴が4本で一つの建物。内部に火を扱った炉の跡がないので、高床式の建物だったのではないかと見られています。 建物が古くなれば穴を掘り直して立て替えますから、穴の数が多くなります。 調査検討が継続しています。 | |
縄文時代中期前葉(約5,000年前)の竪穴住居跡 北陸地方で見られる大型で楕円形です。 柱穴が9〜10本と多く中央の炉が大きくこの場合は2箇所あります。 | |
炉の跡は土が赤く硬くなっています。 外側の壁際には雨水の浸入を防ぐ溝が掘られています。 | |
約3,000年前の竪穴住居跡 中央に炉跡があり、入り口は写真の上の方にあったと思われます。 円形で魚沼・長岡方面で見られる形。 | |
床面(土間)を高い方は70cm掘り下げ低い方は盛り土して平らにしている。柏崎平野では珍しい本格的な竪穴住居。 | |
低い場所のゴミ捨て場からいろいろな遺物が見つかった。 | |
室町時代(約600〜500年前)の墓跡に歯が残っていた。 北枕に埋葬されたらしい。胸・腹部と思われるところに貨幣があった。 | |
B遺跡の東側で旧石器時代(約23,000年前)の石器が発見された。 柏崎市史にA遺跡(B遺跡の北にあったが現存していない。)から採集したといわれる旧石器時代の石器(船底状細石刃核)が紹介されていた。採取の状態が明らかでなかったが、今回は本格発掘により発見された。 | |
鉢形の土器には中期前葉のものが北陸地方、後期〜晩期前半のものは東北地方にある文様が描かれている。他に新潟県独自の火炎式土器の破片などが出土。 石器の石匙・磨製石斧・打製石斧・石鏃・石皿・石錘・錐・小形磨製石斧などや装身具の勾玉・管玉・土製耳飾がありました。 |
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