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剣野沢遺跡の現地説明会

(2008-10-18)

国道8号線柏崎バイパス建設に伴う、遺跡発掘 が続けられているが、ここ剣野町地内(三島町の沢を南へ進んだところ)では、8月から(財)新潟県埋蔵文化財調査事業団により取り組まれていた。対象地域 3,030m²中上層の1,611m²が終了して、現地説明会が10月18日に行われた。遺跡の位置関係→会員のサイト


剣野沢遺跡の全景
剣野沢遺跡の全景

剣野沢(けんのさわ)遺跡(南側から)

山林・田地が宅地に造成され、住宅が建設されているところが、バイパス用地になり工事に先立ち遺跡発掘が行われている。

この沢は南奥にも住宅があり、以前は更に進んだ所に山の裾から水が湧き出ていたのを見たことがある。

東側(右手)の高地は、すでに発掘調査が終わった剣野縄文遺跡群のB遺跡がある。

西側(左手)は香積寺(こうしゃくじ)沢遺跡に隣接している。

中世と縄文時代の地層
中世と縄文時代の地層

表土を掘り下げると中世(鎌倉時代13世紀)の遺物が出土する地層がある。(左側の写真)

水路の跡は、つい最近まで大体同じところに確保しているのが判るという。

さらに掘り下げると縄文時代(後期後半〜晩期)の地層になる。(右側の写真)


中世の住居跡
中世の住居跡

上層部には丘陵裾部に近い南東に住宅地域がある。柱穴跡が多数あり掘立柱の建物が2棟以上確認でき(テープが張ってある)、柱穴は約 250基。この地域は住居地域の北端で、南側(右方)の現在の住宅地の下に続いていると思われる。

井戸の穴
井戸の穴

住居跡の周辺に大小の井戸穴跡が13基。

素掘りで崩れたり水が出なくなったりしたら、別の場所を掘ったらしい。

井戸穴から漆器・櫛などの木製品や土師器皿が見つかった。

住居地域は溝で区切られている

住居地域は溝で区切られている

この地域を東西に分けるように浅い溝が作られていて、東側には居住跡あるが、西側は遺物は多いが遺構が少なく平坦な掘り込みがみられる 程度で水田跡などの生産地域と考えられる。

溝の中に杭列がみられた。

出土遺物の展示説明
出土遺物の展示説明

出土した遺物が展示されていて、簡単な説明があった。

すでに調査の終わった、「千古作遺跡」「香積寺沢遺跡」の遺物も合わせて展示されていた。

縄文時代の遺物
縄文時代の遺物

下層の縄文時代の調査は今後継続されるが、中期前葉や後期後半〜晩期にかけての縄文土器や石器が出土し、東側の剣野縄文遺跡群との関係 が考えられる。

住居地域の縄文時代の層はまだ調査されておらず、展示されているものは西側の遺構(生活の痕跡)の少ない地域からの出土で、
他の地域で使っていたものがどうしてここにあるのか、今後の調査が待たれる。


中世の遺物
中世の遺物

上の中世の層から、13世紀ころの珠洲焼・土師器皿が多く、中には数は少ないが中国から輸入された青磁や白磁などがみられる。

他に木製品では呪符木簡・五輪塔を形取った塔婆・将棋の駒(金将)など、穴の空いた銭貨、砥石、製鉄があったのか鉄滓、など。

南北に流れる溝から多く出土している。

千古作遺跡の遺物
千古作遺跡の遺物

千古作(ちごつくり)遺跡は、東側鵜川を渡る橋の橋脚部分を発掘したもので、井戸穴・柱穴・川跡があり、集落の縁辺部と考えられる。

平安時代の須恵器・土師器のほか珠洲焼や中世の土師器、青磁(輸入品)、木製品がある。

香積寺沢遺跡の遺物
香積寺沢遺跡の遺物

香積寺(こうしゃくじ)沢遺跡は、剣野沢遺跡の西側で、国道8号線バイパスはこの沢を西に向かう。

香積寺がここから現在の西本町へ移ったというが、寺院の存在を示す遺構・遺物は発見できなっかったが、柱穴や炭焼き窯が見つかってい る。

13世紀から15世紀の珠洲焼・越前焼・土師器・青磁などのほか硯などの石製品や木製品が見つかっています。

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2008-10-23 UP

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