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平成22年 末広稲荷社初午祭

初午「はつうま」は2月最初の午の日で、この日にお稲荷さんの神様が降臨されたのだそうです。

本来初午祭は2月初めの午の日に執り行うのが一般的でしたが、最近は住民の諸事情が考慮され

初午祭の日が決められるようになりました。

本町2丁目町内会では「私達のお稲荷さん」としてお世話しております。

お稲荷さん正面

今年の初午は2月1日にあたりましたが、

私達の町内のお稲荷さんの初午祭は2月7日に行われました。

この写真は西本町3丁目旧公会堂脇のねまり地蔵の隣りにある末広稲荷です。

青年会の方々が旗を立ててくれました。

以前はもっと沢山の旗を立てました。赤い鳥居もなくなりさびしくなりました。

お供え物

祭壇には山の幸、海の幸をはじめとして、お稲荷さんの使者である狐の好物の油揚げ等お供え物はふんだんに供えました。

(この写真のみ平成21年度のもの)

神主さんから
初午が早く来る年は「火ばやい」と言われておりますので、火の用心にはくれぐれもお気を付けください。 とのご注意がありました。

神主さんの御嶽さんは本町2丁目が終わると八坂神社で執り行われる、本町1丁目の初午祭に直行されます。

太鼓

祝詞が始まる前には笛と太鼓の音が響きます。残念ながら笛はカセットテープの音を使っています。

太鼓はお隣の町内からYさんが応援に駆けつけてくれました。

前板長のYさんはお供えの鯛を更に生き良く見栄え良く形を整えてくださいます。

その上ふきのとうの和え物、はりはり、黒豆も持ってきてくださいました。

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御嶽さんを囲んで

祝詞とお払いが済んだあとは老いも若きも、お神酒とおつまみや精進寿司を頂きながらよもやま話に 花を咲かせました。

昔から続いているコミュニティ。

I さん: おらちはこのお稲荷さんの建っている土地に家があったんだけれども、
      公会堂を建てることになったので移転するように言われて、
      二千五百円もらって移転したんだよ。

U さん: おらちの裏山は昔、首切り場だったなんてやだよね。
       隣の家はそこの首切り役人の家だったんだと・・

T さん: だから首切り場の跡に観音寺さんが建ったんですよね。

昔話を懐かしむ

私 : 高徳の大おばあさんが言っていたそうですよ。
     公会堂の脇に港町に抜ける小路があって、
     そこを牢屋小路と呼んでいたって・・、

I さん: そうそう、牢屋があったって。

K さん: この町内は花街だったものだから車屋さんが何軒もあったのよ。

     車は人力車のことね。私んちもそうだったし、 石川さんちもね。

シルバー世代の方々のお顔はまるで少年少女時代に戻っているようでした。

ご近所まわり 1

私達の町内会ではしばらく中断していた子供達の町内回りが昭和60年に復活し、小さな子狐の像をもった、かわいらしい子どもたちの姿が見られました。

懐かしい
「ひえーふうー神の子、お稲荷さんのお使いだ、一銭パチリと上げやっしゃい、
 上げやっしゃいたら上げやっしゃい。」
の歌声も響きわたりました。

数年続いたこの行事も子供の数の減少に伴い、又再び途絶えてしまいました。

子供たちが大勢いた頃の写真をご覧ください。(平成2年)

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ご近所まわり 2

夫の妹の話: 私が子供の頃は初午というとお稲荷さんの周りには雪が沢山積もり、男衆は雪ほり、近所のあねさん達は総出でお掃除や赤飯の用意をしました。

お堂の畳敷きの所は子供たちで一杯になりました。

子供たちは「ヒーフーカーメノコ」と街中をかけずり回っておりました。

お菓子や町内でしか使われないお金をもらい、そのお金でくじを引いたりしたことなどはとても楽しい思い出です。

この写真は昭和62年のものです。

次のリンクをクリックすると You Tube で34秒間のムービーを見ることができます。
初午祭の一コマです。


2010-2-18 UP NET・陽だまり 写真撮影・作成:内山 弥生  連絡はここをクリック