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歴史を育む旧道


北国街道


青海川附近の旧道1
 柏崎は、北国街道の宿場町として発達し、かっては回船、縮布、石油などで各地と盛んに交流がなされた町です。この柏崎は、昔から交通の要所として、多くの道路が交わり、近年では鉄道が二路線敷設されています。
 柏崎を通る道路は、中頚城郡柿崎町から西中通を経て長岡市に至る道(8号)、椎谷から海岸線を通る道(352号)、鵜川の河口附近から東頚城郡に抜ける道(353号)、鯖石川に沿って刈羽郡高柳町へ抜ける道(252号)、安田から武石トンネルを抜けて三島郡越路町へ至る道(291号)、西中通から刈羽郡刈羽村に至る道(116号)、そして近年開通した北陸自動車道があります。

青海川附近の旧道2
「北国街道」の柏崎市域内の経路は、現在の国道8号と352号を繋いだ椎谷・米山間に準じた道を指しています。しかしながら米山峠附近だけを対象に眺めてみても、国道8号、旧国道、江戸時代の道が錯綜し、更に北陸自動車道がトンネルを掘って難所を切り抜けているという現状から、旧道という江戸時代の道を確かめることは困難な環境にあります。

昔の北国街道
昔の道として文 献 に残されているのは、 「柿崎から一里半で鉢崎(米山町)に至る。 ここに関所があり、米山峠三里の難所を越え て鯨波に至り、鯨波から一里で柏崎に入る。 柏崎から悪田の渡しで悪田川を渡って、三里 で宮川、ここから二十余丁で 椎 谷の宿に至 り、一里半で石地に至る。米山三里は、鉢崎 の関所を通って、聖ケ鼻の岬に上るところか ら始まる。八つの 岬を 廻る道は、曲がりく ねって起伏が多く、その間に胞 姫 神社、上 輪、上輪新田、笠島、青海川の閑村が米山山 塊の僅かな空間に点在し、笠島の浜辺沿いの 昔の道は、 親不知、子不知のようなところ であった」と伝えられています。

青海川附近の旧道3
 米山峠の道は、口碑にも義経によって草分 けされたといわれており、それ以前は米山山 麓に点在する 小萱、大平、 蕨野、吉尾、小 杉、谷根、川内、泉山、新道というコースが 古道ではないかといわれています。  難路を示す記録には、明治十一年(188 7年)の明治天皇御巡幸に際して、道路改修 が行なわれたにもかかわらず、米山三里は車 で通行できず、この間、天皇は板輿に乗り、 鯨波に着いてから馬車を利用されたと「柏崎 編年史」に記述されています。

松並木
 現在、柏崎市内に残る「旧道の面影」は、 鯨波、青海川の間の国道を山手に入った自然 休養村管理センター脇の道がそれにあたり、 道路右手に柏崎市から史跡指定を受けている 道標を刻んだ「法師像」と往時の「松並木」 が見られます。ここは頚城と刈羽の郡界で、 桑名藩、高田藩の境界でもあり、また、この 場所は、出雲崎から江戸へ送る 佐渡の金銀 を、桑名藩から高田藩へ引き継いだ場所でも ありました。  近年の文献によると、北国街道は、経路、 起点・終点が明確でなく、逆に「金沢 〜 高 田 〜 長野」を北国街道とするものがありま す。一方では 柏崎を経由 する道路に「北陸 道」「庄内道(高田〜鶴岡)」の名称が記さ れたものもあります。

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