かしわざきのひと


中川  なかがわ 耕山 こうざん

中山 耕山  明治初期の銅版彫刻家。嘉永4年(1851年)中川長兵衛の次男として新田町(東本町二丁目)に生まれる。若くして江戸に出て彫刻・画・書を学び銅版彫刻は梅村翠山についた。
 明治7年、翠山に嘱望され、銅版研究のため打田霞山とともに米国へ私費留学。当時米国では石版術の時代になっていたので、これを研修し、学費不足もあって1年で帰国。その後、師梅村等と東京銀座に石版の彫刻会社を設立。失敗して国文社と合併、技師長となる。のち東京製版協会彫工会設立に関与、博覧会などの審査員として活躍、自らもたびたび受賞した。
 明治初期、近代啓蒙学術書出版に尽くした逸材銅版彫刻師中川耕山の死は、明治32年8月、享年48歳。
(文:大竹信雄さん)

「かしわざきのひと」トップへ



小林  こばやし 群鳳 ぐんぽう

小林 群鳳   嘉永元(1848)年、悪田で代々石工を稼業とする家に生まれる。名は久助。父親・源之助は谷根や上輪新田の道祖神を彫った名人。久助は幼少からこの父の元で修行に励んだ。
 20歳を過ぎると、さらに腕を磨くため会津若松、そして東京に出て多くの作品を製作。在京中、刻字の大家・廣群鶴の知遇を得、その技法習得に専念。数年で会得し、師より「群」を貰い「群鳳」と名乗る。このころ、浅草で開催された「諸国百工競精会」へ『水滸伝』を題材にした石彫を出品、みごと第二等を受賞。
 明治9年、父の訃報に接し帰郷。以来、越後を代表する名工として多彩な腕を振るった。大正2年10月、65歳で他界。彼の優れた技は、市内に残る石仏群に今も刻まれている。
(文:博物館 渡辺三四一さん)

「かしわざきのひと」トップへ



宮島  みやじま 郁芳 いくほう

宮島 郁芳  熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人づれ…で始まる流行歌「金色夜叉」は、柏崎市上方出身の宮島郁芳により、大正7年に作詞された。
 彼は明治27年、旧高田村の農家に生まれ、17歳の時一家とともに上京、苦学しながら早稲田大学文科予科に入学し、文学を志した。しかし、社会主義運動に共鳴参加によって、大学を中退せねばならなかった。生活のため、自作の歌をバイオリンを手に街を流し歩く演歌師になった。
 なかでも「金色夜叉」や「馬賊の唄」は当時の世相と相まって、全国的に爆発的な人気を博し、彼が歌いだすと、周囲は人で埋まったという。昭和45年に75歳で没した。なお、郁芳は作家三浦朱門の叔父にあたる。
(文:博物館 三井田忠明さん)

「かしわざきのひと」トップへ



弁栄  べんえい 上人 しょうにん

弁栄 上人  「長き夜の眠りの夢は醒めにけり師走四日の暁の空」上人辞世の句である。長岡から巡教の途次、極楽寺へ着いたのが大正9年11月16日。既に体調を崩し、県内外の信者が駆け付け看病に努めたが、ついに12月4日、64歳で遷化された。
 柏崎における「弁栄さん」は、細字にすぐれ、指描きの竹や観音像の絵が有名のあまり、宗教家としての姿がいまひとつ見えてこない。
 上人は、安政6年、千葉県の旧家山崎家に生まれ、19歳の時、静誉上人ついて得度剃髪。その後、国内外で布教、多くの信者を集めた。
 上人の死は、満堂溢れる信者に見守られるなか、静かに木魚を打ち、六字の名号を唱えながらであったといわれている。
(文:大竹信雄さん)

「かしわざきのひと」トップへ



金塚  きんづか 友之丞 とものじょう

金塚 友之丞  明治23年、東長鳥(鷹の巣)の農家に生まれる。小学校卒業後、農家に従事しながら独学で教員検定試験に合格、県内各地の小中学校に勤務。
 昭和10年の郷土研究誌『高志路』創刊から精力的に民俗関係の論考を発表。昭和14年、北越商業高等学校に籍を移し、勤務の傍ら蒲原平野の農村を丹念に調査。以来、半年を賭して湿田農耕地帯の生活と民俗を克明に記録し続けた。その成果の一端が『鎧潟周辺の民俗』(昭和37年・巻町双書)や労作『蒲原の民俗』(昭和45年・野島出版)である。
 氏の環境特性に着目した民俗研究の視点は、今日の学会でも評価が高い。昭和46年、81歳で他界。晩年、新潟県民俗学会名誉会員に推挙。
(文:博物館 渡辺三四一さん)

「かしわざきのひと」トップへ



佐藤  さとう 佐平 さへい

佐藤 佐平  柏崎市最後の専業漆掻き職人。明治42年4月西長鳥に生まれ、19歳の時、父平助に習って漆の木から樹液を採取する職人となった。
 戦時中までは「旅山」といって頸城郡と魚沼郡に出掛けたが、晩年は農業のかたわら地元の山澗で仕事をした。仕事にはグリ・カンナ・ヘラ・ゴウなど比較的簡単な道具を用いるが、漆の木を枯らすことなく効率的に樹液を採る、佐平さんの「養生掻き」の技法は、非常に優れていた。その技には全国的に伝承保存されるべき内容があり、研究者にも注目され、漆学会誌に発表されている。
 なお、仕事ぶりを記録したVTRテープや道具類は、博物館に寄贈保管されている。
 平成8年6月、85歳で他界した。
(文:博物館 三井田忠明さん)




「かしわざきのひと」トップへ