@鯨波戦争跡

■鯨波戦争跡
戊辰の年(慶応4年)閏4月27日一日中鯨波で薩・長藩主力の新政府軍約2500名と会・桑藩主力の幕府軍500余名が戦争をした。



「柏崎文庫」より
■松林からの攻防戦
最後の激戦地の跡で、幕府方は塔の輪〜向山〜8号線の丘陵地沿い布陣。攻め上る新政府軍を引き寄せ松林の間から鉄砲を撃つ。


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■丘陵地での最後の戦場
新政府軍は米山道を鯨波に向け兵を進め、各地で撃ちあいをしつつ村は焼け、幕府軍を追いつめる。両軍はイサザ川をはさんで布陣した。



■激戦地嫁入坂
塔の輪の山麓に鯨波郵便局があり、その裏手と石黒通夫宅裏を結び、蒼海ホテル上り口に通じる細い旧道を嫁入坂と呼ぶ。


■桑名藩戦死駒木根の墓(塔の輪)


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