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■桑名藩主松平定敬、幕末勝願寺に滞在
浄土真宗、京都東本願寺の末寺で大藤道信、蓮如の弟子となり僧となる。天正2年顕如より大藤山勝願寺という山号寺号と授かる。鳥羽伏見の戦いで桑名藩主定敬は敗れ、慶応4年3月30日、柏崎の勝願寺で謹慎、後に主戦派となる。
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■本堂の扁額「大藤山」
慶応3(1867)年左近衛権中将定敬の筆。
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■桑名藩士戦没墓
裏面は東北各地での死者、および北越戦争での死者28名の死に哀悼の言葉を述べる。旧藩主定敬公および遺族も来柏し往時の死を偲ばれたという。
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■桑名藩士の碑
主として越後各地の桑名藩士戦病者の碑
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