日柳燕石(くさなぎえんせき)
日柳燕石
讃岐仲多度郡榎井村字旗岡の出。文化14年〜明治元年8月(1817〜1868)、52歳で没。幼名長次郎のち耕吉、名は政章、字は士煥、号は燕石・猿赤、別号柳東・春園・白堂・楽王・呑象樓・双龍閣。幕末の志士。琴平の医三井雪航に学び、詩文に長じ、又書画をよくした。高杉晋作を潜匿した罪により投獄。後朝廷に召され、仁和宮に従って柏崎に来たが、早々病死。墓は柏崎招魂場にある。著書に「呑象樓遺稿」「西遊詩草」。
【参考文献】 柏崎のいしぶみ、大人名辞典(平凡社)




時勢何殊傀儡場。

時勢(じせい)(なん)(ことなら)傀儡(かいらい)の場、

一機一會片時更。 一機一会片時(へんじ)(かわ)る、
東西陣結犬猿闘。 東西陣結(じんけつ)犬猿(けんえん)(たたか)う、
南北統分魚鳥爭。 南北統分魚鳥(ぎょちょう)(あらそ)う、
 
天子本無謀叛事。 天子(てんし)(もと)謀叛(ぼうはん)の事なし、
公卿有竄流名。 公卿(こうけい)(すで)竄流(ざんる)の名有り、
正邪今日誰能辧。 正邪(せいじゃ)今日(こんにち)(たれ)()(べん)ぜん、
雲霧茫々埋鳳城。 (うん)()茫々(ぼうぼう)鳳城(ほうじょう)()まる
  杞憂陳人


【「軸・短冊・扇面目録」より(図書館中村文庫・軸番号121)




燕石(えんせき)(おう)()(表碑文)

仙台處士 (おか) 千仞篆額(せんじんてんがく)

柳東日柳先生。讃州榎井人。以氣節自任。尤善詩賦。長之吉田。木戸。薩之西郷。小松。土之後藤。及我越之本間等皆與交游焉。若高杉晋作遁難潜伏其家云。明治元年七月二十日。先生従総督宮。来柏崎。予時與長谷川強菴翁對酌於某樓。有客突如来問曰長谷川鐵之進拝興公乎。強翁即答云予則正傑也。問者何人。曰讃州日柳柳東明朝當来見強翁抵掌曰柳東来矣柳東来矣。翌旦相携訪先生於逆旅則困臥病蓐。蹶起将命酒盃曰昨来觸瘴毒熱発殊甚。強翁慰論云。會津陥落不出旬月。事定當張一大祝宴於新潟。匆卒而辞謝。當此之時賊復長岡。薩長兵怒如火殊死而闘。長驅入會津。再来柏崎則先生既巳物故。予與強翁携壺酒鮮鱗奠墓前而去。嗚呼天下名士空葬於荒艸寂寞之濱香火粛條無来弔之者。悲夫。刈羽有志某々等恐其湮没。為建斯碑云。

明治三十七年甲辰二月

長岡 高橋 三寅撰
柏崎 丸田 尚友書


(表碑文訳)

(りゅう)(とう)日柳(くさなぎ)先生は讃州(さんしゅう)榎井(かい)の人、気節(きせつ)(もっ)(みずか)(にん)ず。(もっと)詩賦(しふ)を善くす。(ちょう)の吉田、木戸、(さつ)の西郷、小松、()の後藤、及び我が(えつ)の本間等皆交游す。高杉晋作の(ごと)きは(なん)(のが)れて、()の家に潜伏(せんぷく)すと()う。明治元年七月二十日、先生、総督(そうとく)(みや)(したが)って柏崎に(きた)る。(われ)、時に長谷川(はせがわ)強庵(ごうあん)(おう)某樓(ぼうろう)対酌(たいしゃく)す。客有り突如(とつじょ)来たり問うて(いわ)く「長谷川鉄之進興公(こうこう)(あら)ざるか」と、強翁(ごうおう)(すなわ)ち答えて云う。「(われ)(すなわ)正傑(せいけつ)なり、問う者は何人(なんびと)()す」。曰く「讃州(さんしゅう)日柳(くさなぎ)柳東(りゅうとう)なり、明朝(まさ)()たり見ゆべし」と。強翁()()って曰く「柳東(きた)る、柳東来る」と。翌日、(あい)(たずさ)えて先生を逆旅(げきりょ)(たずね)れば即ち病蓐(びょうじょく)困臥(こんきゅう)す。蹶起(けっき)して()さに酒盃(しゅはい)(めい)ぜんとして曰く「昨来、瘴毒(しょうどく)に触れ発熱(ことに)(はなはだ)だし」と。強翁慰諭(いゆ)して云う「会津、陥落(かんらく)(じゅん)(げつ)()でざらん、事(さだま)らば(まさ)に一大祝宴(しゅくえん)を新潟に張るべし」と。匆卒(そうそつ)辞謝(じしゃ)す。()の時に(あた)って(ぞく)長岡城を(また)す。薩長(さっちょう)の兵怒ること火の如く(ことごとく)()して闘い、長躯(ちょうく)して会津(あいづ)に入る。再び柏崎に来れば先生、(すで)に巳に物故(ぶっこ)す。(われ)強翁と壺酒(こしゅ)鮮鱗(せんりん)(たずさ)えて墓前に(そな)えて去る。嗚呼(ああ)天下の名士(むな)しく荒草(りょうそう)寂寞(せきばく)(はま)(ほうむ)られ、香火(こうか)粛條(しゅくじょう)として()れを(とむら)う者来る無し。悲しいかな。刈羽の有志某々等、其の湮没(えんぼつ)を恐れ、()めに(この)()を建つと云う。



燕石翁碑(裏碑文)

先生(いみな)政章(あざな)士煥通稱(つうしょう)耕吉。日柳(くさなぎ)(ごう)燕石又(ごう)柳東(りゅうとう)。明治元年六月從仁和寺宮(にんなじのみや)北征。途為瘴癘(しょうれい)所犯。八月二十五日(ついに)歿於柏崎。享年五十又二。親王賜(おくりな)日大櫻定居彦命。祠官(しかん)樋口秀宝厚葬之柏崎招魂場(しょうこんじょう)。明治三十六年十一月旨賜從四位。
【所在地:柏崎市西本町1丁目5番
     柏崎神社境内】


柏崎招魂場場
「日柳燕石先生御墓所」

   墓(正面)文:「日柳耕吉(おくりな)大櫻定居彦墓」
  墓(側面)文:「先考讃岐人、明治紀元、從仁和寺宮北征、掌軍日誌、
          八月二十五日病死、享年五十有二、特命賜
(おくりな)、厚葬於此。」


「柏崎招魂所 案内板」
【所在地:柏崎市学校町(柏崎小学校脇招魂場)】
日柳燕石関連資料
書 名 項 目 編著者 分類・記号
柏崎文庫 4
スクラップ
甲子話左記(p.84) 関甲子次郎 080 セキ 4
柏崎文庫 12-2巻 招魂場(p.457-463) 関甲子次郎 080 セキ 12-2
図解 にいがた歴史散歩
柏崎・刈羽
柏崎で客死した日柳燕石(p.86-87) 新潟日報事業者出版部 編 200 Nニツ 8
柏崎の先人たち
柏崎・刈羽の人物誌
日柳燕石(p.76-77) 柏崎市 編 282 K
日柳燕石伝
勤王奇傑
  草薙金四郎 289 クサ
日柳燕石 上   相原言三郎 289 クサ
日柳燕石   美巧社 編 289 クサ
日柳燕石研究(全5冊)   相原言言三郎 289 クサ 1〜5
日柳燕石資料断片   剣持隼一郎 編 289 クサ
日柳燕石
(四国文化)
  四国先賢顕彰会 編 289 クサ
呑象楼略記
(どんしょうろうりゃくき)
  清水秀之助 289 クサ
柏崎のいしぶみ   山田良平 224 ヤマ
大人名辞典 2 日柳燕石(p..367) 平凡社 編 280 タイ 2
軸・短冊・扇面目録 日柳燕石(p.26) 柏崎市立図書館 編 020 Kトシ
柏崎市史資料集
近現代編 1
招魂場(p.772)
墓碑(p.777)
柏崎市史編さん委員会 編 224 Kシヘ 近現1



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