飯塚邸・秋幸苑 |
■柏崎市史跡 飯塚邸
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クリックすると拡大史跡・飯塚邸の概要
飯塚家は、当地域の大地主として、特に明治以降、地域内外の経済界、政界において活躍された経歴を持つ旧家であり、近世、近代における越後の富裕階級の在り方等を今に伝える貴重な史跡である。
昭和22年10月10日、本県ご視察の昭和天皇は、同夜から12日朝まで旧高田村の飯塚邸にご滞在され、後に飯塚邸の庭に“秋幸苑”の名を賜った。昭和48年に史跡「秋幸苑と行在所」として柏崎市文化財に指定され、平成13年には飯塚家から柏崎市へ寄贈された。
飯塚 知信 (いいづか とものぶ)
明治25年生まれ。飯塚弥一郎氏の次男。昭和4年から10年間高田村の村長を務める。日中戦争の折には、戦場を視察して「中支皇軍慰問行」「南支皇軍慰問行」を記す。県立柏崎農業高等学校のために枇杷島地内の所有地1万5千坪を県へ寄付するなど、公共のため数々の援助をした。温顔で無欲、人情の機微に通じた人柄が多くの人々に敬愛されていた。また、茶道に親しみ、光風庵宗信という庵号を持っていた。昭和40年72歳で没。
■飯塚邸・秋幸苑関連資料
書 名 | 内 容 | 編著者 | 発行年 | 分類・記号 |
越後豪農の館 | 飯塚邸 | 新潟日報事業社出版部 編 | 昭和60年 | 520 Nニツ (郷土資料) |
柏崎市の文化財 | 秋幸苑(しゅうこうえん)と行在所(あんざいしょ) | 柏崎市教育委員会 編 | 昭和57年 | 700 Kキヨ (郷土資料) |
越佐人物誌名家系譜 | 飯塚家の家系図 | 牧田利平 編 | 昭和61年 | 280 マキ (郷土資料) |
刈羽郡人物鑑 | 第12代当主 飯塚弥一郎氏の解説 | 三井田源七 編 | 大正6年 | 282 ミイ (郷土資料) |
刈羽郡と名士 附商工業者人名録 |
飯塚弥一郎氏の解説 | 三井田源七 編 | 大正3年 | 282 ミイ (郷土資料) |
柏崎・刈羽人物情報事典 | 第13代当主 飯塚知信氏に関する新聞記事 | |
平成11年 | 282 キネ (郷土資料) |
柏崎の先人たち | 飯塚知信氏の解説 | 柏崎ふるさと人物館 編 | 平成14年 | 281.4 カ (一般図書) |
郷土人写真名鑑 | 飯塚知信氏の写真と略歴 | 柏新時報社編 | 昭和34年 | 282 ハク (郷土資料) |
柏崎のいしぶみ | 飯塚知信氏像 天皇御巡幸碑 |
山田良平 著 | 昭和45年 | 224 ヤマ (郷土資料) |
高田のよろばた | 13.飯塚知信氏像 19.天皇御巡幸碑 |
高田公民館 編 | 平成6年 | 224 タカ (郷土資料) |
越佐路の御旅 | 十二.柏崎御宿 夫人の労をねぎらわれる |
天皇陛下御在位六十年新潟県奉祝会 編 | 昭和63年 | 280 テン (郷土資料) |
柏崎文庫 16 | 飯塚氏 (p44〜57) | 関甲子次郎 筆 | 大正11年 | 080 セキ (郷土資料) |
柏新時報 (S22.10.4) | 天皇陛下越路御巡幸をお待ち申し上げて 高田村 飯塚知信 感激の飯塚邸 |
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柏新時報 (S22.10.11) | 七時に御起床 邸内を御散歩 | |||
越後タイムス(S22.10.5) | 光栄の飯塚家 晴れの日を待つ飯塚邸の行在地 臣下の宿所 |
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越後タイムス(S22.10.19) | 陛下と飯塚邸 | |||
柏崎日報 (S23.10.12) |
"秋幸苑"記念碑 御巡幸一周年に除幕 | |||
柏崎日報 (S39.9.12) |
碑は語る 天皇ご巡幸碑 | |||
柏崎日報 (H14.10.21) |
文化遺産として末永く(10月20日の一般公開式典の様子) |
■飯塚知信氏著作
書 名 | 出版社 | 発行年 | 分類・記号 |
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中支皇軍慰問行 | 越後タイムス社 | 昭和15年7月 | 960 イイ (郷土資料) |
南支皇軍慰問行 | 越後タイムス社 | 昭和16年4月 | 960 イイ (郷土資料) |
秋幸苑御駐輦記 | 新潟日報事業社 | 280 イイ (郷土資料) |