柏崎勝長 関連資料
柏崎勝長(かしわざきかつなが)

 「鵜川の柏の大樹の東北に柏崎勝長公という人の家があったという。
 ある年、一子花若丸と家来の吉井小太郎をつれて鎌倉に行ったが病気で死んでしまった。花若丸は世をはかなんで信濃の善光寺に行って僧になった。家来の小太郎は柏崎に帰り勝長公の奥方にこの事を報告した。
 夫はなくなり花若が出家したと聞いて、奥方は気が狂われて善光寺へ行き、ようやくにして花若丸に会った。
 奥方は夫勝長公の形見のえばし、刀、ひたたれなどを仏前にささげ夫の冥福を祈った。
 やがて奥方は柏崎に帰り自分の家を香積寺に寄付し、自分は髪を切り落し尼僧となりて夫のぼだいをとむらわれたという。」

柏崎市教育委員会 編 「柏崎市伝説集」より

 「柏崎勝長は、謡曲「柏崎」が室町時代に成立して以来有名となり、その実在をめぐって論議の的となった。ことに江戸時代にはいって柏崎町が発展し、町人文化が隆昌するとその立証のために幾多の努力がなされたがいまだその決定をみないのである。享保三年五月廿二日善光寺庚申堂より勝長公の由緒書を受けたのもこの試みの一つである。現在柏崎市立図書館の中村文庫にその由緒書が蔵されているが、かんじんの遺品は焼失されたと記されている・・・・・また、寛保三年には、柏崎人によって、勝長公五百回忌が営なまれ、香積寺に記念碑が建立されている・・・・・」
新沢佳大 編著 「柏崎編年史」より

書 名 項 目 編著者 分類・記号
柏崎市史 柏崎をめぐる伝説 (上 p.659) 柏崎市史編さん室 224 Kシヘ
松平越中守時代における柏崎町の特記すべき事柄 (中 p.130)
香積寺 (中 p.909)
柏崎編年史 中世の柏崎地方 (上 p.35) 新沢佳大 224 シン
柏崎勝長、鎌倉で没す (上 p.48)
稿本柏崎史誌 1254年 柏崎勝長父子鎌倉に上る  (上 p.19) 柏崎市立図書館 224 Kトシ
1718年 善光寺より勝長公由緒書来る  (上 p.155)
1743年 柏崎勝長公五百回忌で石碑建つ  (上 p.171)
柏崎市伝説集 柏崎勝長公 (p.90) 柏崎市教育委員会 388 Kキヨ
図解にいがた歴史散歩
(柏崎・刈羽)
謡曲にもうたわれた悲劇の柏崎勝長(p24) 新潟日報事業社 200 Nニツ 8
柏崎市史資料集 
(古代中世篇)
謡曲「柏崎」 (p.48) 柏崎市史編さん室 224 Kシヘ
解註 謡曲全集 巻3 柏崎(喜多流) (p.361) 野上豊一郎 編 912.3 ノカ 3
〔柏崎勝長公石碑〕
中村文庫
軸 230
〔柏崎勝長由緒書〕
中村文庫
軸 273

※軸の写真は、「軸・短冊・扇面目録」でもご覧いただけます。


「調べたいときに」トップへ