勝海舟の曾祖父・米山検校 |
■米山検校(よねやまけんぎょう)
米山検校=男谷(おたに)検校(1702〜1771)
○柏崎市東長鳥(旧北条町杉平)生れ
○江戸石坂検校・嶋補検校について鍼道を修得
○宝暦の飢きん時に長鳥郷の窮民に米を施与し急場を救う
○水戸藩に70万両?貸す
○盲人としての最高位の検校に昇進
○盲人学校開設の歎願
○旗本男谷氏の株を買い男谷検校と呼ばれた市内東長鳥にある検校の墓 米山検校について、ことに兄弟・子供のことは誤伝や不明の点が多い。たとえば、刈羽郡旧蹟志、柏崎文庫、人物叢書勝海舟(吉川弘文館)、勝海舟全集20巻付録(頸草書房)等でそれぞれ系図が違っている。1冊の資料をうのみにできない事例なので注意を要する。
故山田良平氏は「米山検校とその一族」の中で、十数個所の誤りを指摘しているが、その二・三を紹介してみる。
村上元三氏の「勝海舟」中、「麟太郎にとっての大祖父にあたる人を、米山徳左衛門としているが誤り」。「刈羽郡旧蹟志にいう、精一郎の姪勝麟太郎というのはおかしい」。「甲子楼文庫(=柏崎文庫)の中で勝小吉を燕斉彦四郎の子としてあるのは間違いだが、これが他にもいろいろ間違えられて、勝海舟は、米山検校の玄孫だということになっていることもあるが、この点『北条町史』が正しく書いてあるので、今後は間違える人もないだろう」市内岩の入地区の峠道に残る御礼塔 【略系図】 長鳥住 山上徳左衛門
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米山検校 (長鳥一江戸)
(男谷検校、ろういち?)
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平蔵 (男谷家をつぐ)
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左衛門太郎惟寅(勝家をつぐ、小吉・夢酔)
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麟太郎義邦(海舟)検校の生地、東長鳥平沢地区
書 名 | 編著者 | 出版社 | 発行年 | 分類・記号 |
目明きを救った盲人、米山検校 〜勝海舟の曾祖父〜 | 福原 滋 | 新潟日報事業社 | 1989 | 289-ヨネ |
評伝 銀のつえ 〜米山検校をさがして〜 | 徳間 佳信 | 2012 | 289-ヨネ | |
柏崎刈羽人物情報事典 | 杵淵 武二 | 2016 | 282-キネ | |
北条のはなし〜史蹟と伝説〜 | 桑山 省吾 | 1961 | 224-クワ | |
図解にいがた歴史散歩(柏崎・刈羽) | 川崎 久一 | 新潟日報事業社 | 1984 | 200-Nニツ-8 |
米山検校とその一族 | 山田 良平 | 柏崎日報連載 | 1973 | 282-ヤマ |
北条町史 宝暦の飢饉と米山検校 | 北条町史編纂委員会 | 北条町 | 1971 | 224-キタ |
日本盲人社会史研究 (米山銀一の鋤道学校計画) |
加藤 康昭 | 未来社 | 1974 | 369-カト |
柏崎文庫 19巻 | 関 甲子次郎 | 080-セキ | ||
米山検校と大石松八郎 (昭和45年 「信野」22巻1号別刷) |
渡辺 慶一 | 1970 | 289-ヨネ | |
高田藩制史研究 資料編1 | 中村 辛一 | 風間書房 | 1971 | 232-ナカ-1 |
刈羽郡旧蹟志 | 山田 八十八郎 | 刈羽郡役所 | 1909 | 224-ヤマ |
新潟県県民百科事典 |
野島出版編集部 | 野島出版 | 1977 | 030-N |
越佐人物小伝 | 川崎 久一 | 新潟日報事業社出版部 | 1985 | 280-カワ |
子母沢寛全集 第4巻 親子鷹 | 子母沢 寛 | 中央公論社 | 1963 | F-SH |
勝海舟 上巻 | 勝部 真長 | PHP研究所 | 1992 | 289.1-カツ-1 |
勝海舟 | 村上 元三 | 学習研究社 | 1969 | F-MU |
日本の名著 第32巻 氷川清話・夢酔独首・男谷家勝家系図 | 中央公論社 | 1978 | 081-ニ-32 |