出壺の水と谷川新田
谷川新田

出壺の水 案内
【出壺へ約40分(足下注意)・黒姫山登山口へ(清水谷コース)】

政叟谷川津兵衛翁碑


谷川津兵衛翁碑(中央杉林中)
谷川新田の林道より


(表碑文)

 政叟(せいそう)谷川()兵衛(へい)頌徳碑(しょうとくひ)

谷川新田ハ刈羽郡(かりわぐん)ノ名峰(くろ)姫山(ひめやま)ノ中腹ニ()リ 近ク黒姫連峰ヲ望ミ遠ク柏崎市街地ヲ()テ風光絶佳(ぜっか)一寰(いっかん)()ス 土地肥沃(ひよく)ニシテ美田(びでん)(ここ)(ひら)カレ村人楽ミテ業ニ従ヒ平和ノ気靄靄(あいあい)トシテ常ニ(みなぎ)レリ  (きゅう)(じょう)一祠(いっし)アリ 政叟(せいそう)谷川津兵衛(おう)(まつ)ル ()(すなわ)チ谷川新田ノ開拓者ニシテ此地ノ大恩人ナリ 初メ文政年間翁ノ先人(せんじん)開墾(かいこん)ヲ志シ出壺(でつぼ)ヲ水源地トシテ引水ヲ(くわだ)テシモ其ノ地黒姫山腹(さんぷく)(くらい)彼此(かれこれ)相距(あいへだ)ツルコト二十数町加フル二巌盤(がんばん)層ヲ成シ工事()(なん)ナル為メ意ヲ果サス (しか)ルニ翁ノ一度ヒ工ヲ起スヤ難ニ()ヒテ屈セス  財ヲ(ちら)シテ惜マス  頑石(がんせき)(くだ)堅巌(けんがん)(うが)(つぶ)サニ人力ヲ(つく)シテ(ようやく)水路ヲ通スルヲ得タリ  即チ荊棘(けいきょく)(ころ)?莽(しんぼう)ヲ開キ小作(こさく)(にん)数戸ヲ移住セシメ(ここ)ニ谷川新田村ヲ創設スルニ至ル 堅志(けんし)剛腸(ごうちょう)ノ士ニアラサルヨリハ(いずく)ンソヨク(かく)ノ如キヲ得ン (しか)シテ翁ノ開鑿(かいさく)セル〇水路ハ大字(おおあざ)清水谷ノ上部ヲ蜿蜒(えんえん)(かん)(りゅう)シ居レルヲ以テ谷川新田灌漑(かんがい)剰流(じょうりゅう)ハ常用水トシテ清水谷全村ヲ(とく)スルニ(とどま)ラス上釜(かみかま?)地内丸山(まるやま)(だいら)等ニ(まで)利便ヲ及ボシ其恵澤(けいたく)ノ大ナルコト測リ知ルヘカラサルモノアリ  (むべ)ナリ  区民一同翁ニ對シ累世(るいせ)感謝ノ至誠(しせい)ヲ傾ケテ(かわ)ラサルコトヤ (まさ)ニ翁ノ事業ヲ顕彰(けんしょう)スル為メ神社建立ノ(くわだて)アリシカ明治維新ノ(へん)ニ際シ果サス 明治二十六年ノ頃再ヒ建祠(けんし)ノ議アリシモ是レ亦其ノ實現ヲ見サリシニ大正十年七月ニ至リ区民相謀リテ一祠ヲ建立(こんりゅう)崇敬(すうけい)ノ誠ヲ致スヲ得タリ (しか)モ歳月ヲ重ヌルニ従ヒ感恩(かんおん)ノ念(いよいよ)深クシテ(せつ)ナルモノアリ 即チ区總会ノ議ヲ経テ(あらた)(ここ)頌徳(しょうとく)ノ碑ヲ建テ和衷(わちゅう)共同翁ノ遺徳ヲ(おさ)へニ傳ヘントスルニ至ル  其ノ純真ノ風質実(しつじつ)ノ心(まこと)ニ以テ(ただ)スヘシ 嗚呼(ああ)黒姫山巍巍(ぎぎ)トシテ永ク(そび)出壺(でつぼ)()(いずみ)滾滾(こんこん)トシテ()クル時ヲ知ラス 翁ノ事業亦(じつ)ニ千古(ほろ)ヒスト()フヘキナリ

昭和十三年十一月


(裏碑面)  ?

碑・石祠の所在地   柏崎市()(みず)(だに) 谷川(たにかわ)新田(しんでん) (ゼンマイ平・布付平付近)

【出壺の水所在地   谷川新田林道車終着点(水上・雨池)下



書名 項 目 編著者 分類・記号
柏崎文庫(8-2) 谷川氏(p.255-256) 関甲子次郎 著 080 セキ 8-2
柏崎文庫(16) 谷川新田 関甲子次郎 著 080 セキ 16
柏崎市伝説集 谷川津兵エと谷川新田
(p.83-84)
柏崎市教育委員会 編 388 Kニヨ
新潟県の名水 出壷の水(p.31) 新潟県環境保健部 編 518 Nカン
刈羽郡案内 谷川新田(p.138-139) 関甲子次郎 著 224 セキ
名水の旅 新潟県 出壺の水(p.72-73) 新潟日報事業者 編 450 Nニツ
水のいいつたえ
(柏崎の名水)
出壺の水(p.14) 柏崎市教育委員会 編 517 Kキヨ
鵜川の話 清水谷の出壺(p.82-83) 高橋義宗 著 224 タカ
鵜川の話 U 大字清水谷(p.154)
大字谷川新田(p.155)
高橋義宗 著 224 タカ
野田 谷川新田(p.15) 柏崎市立の野田小学校 編 376 Kノタ
柏崎市史資料集
(近世篇2 下)
谷川津兵衛一件願立記録
(p.426-428)
柏崎市史編さん委員会 編 224 Kシヘ 近世2下
新聞名 年月日 項目 編著者
柏崎日報 昭和15年11月8日 谷川新田開墾者  



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