桔梗峠 |
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奈良時代から平安時代初期、桔梗峠付近に桔梗夜叉という女盗賊が住みついていた。この盗賊が近郷の住民を苦しめているという訴えを聞いた坂上田村麻呂がこれを平定し、さらに治安維持のため部下十数人を屯田兵として残した。彼らが小村峠に住んでいた人々の祖先となった。この舞台となる小村峠と桔梗峠は、かつて峰道で結ばれており、蝦夷征討に向かう坂上田村麻呂の軍勢が通過したと言われる。(「鵜川の話/鵜川の話U」) この伝承を持つ桔梗峠は柏崎市と柿崎町の境界にあり、柏崎市大字市野新田と柿崎町大字黒岩(旧黒岩村)を結ぶ。標高約366mの頂には石像と碑が祀られている。 市野新田の地は、元和5年(1619)〜延宝8年(1680)の間高田藩領であった。そのため中頸城郡の人々が開拓のために桔梗峠を越えて移住してきたとされる。また、市野新田の産土神※1を祀った諏訪神社は、中頸城の人々が出生の地から勧請したものであり、亡くなった人々を弔う大慈院も本寺は黒岩村にあった。御祭神も御本尊も桔梗峠を越えてこの地に迎えられたのである。 市野新田の人々にとってこの峠道が特別な意味を持っていたことがうかがえる。 戊辰戦争の時には、官軍の支隊がこの峠を越えている。「柏崎町の攻略に備えて、別動隊がまず天領の地として歴史のある鵜川の地を進撃の拠点とするためにやってきたのではないでしょうか。」(「鵜川の話」)彼らは鵜川進軍直前の一夜を桔梗峠の頂上で過ごした。 現在、黒岩には、小岩峠方面に大きく迂回する車道が通じる。桔梗峠は昔ながらの姿をとどめたままではあるが、美しいブナ林や道中の米山キノコ園といった豊かな自然が来訪者を楽しませてくれる。 ※1 産土神:生まれた土地の守り神。近世以後、氏神・鎮守の神と同義になる。(広辞苑より) |
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