小村峠 |
←野田から小村峠に向かう道 | ||||||||||||||||||||||||||
中頸城郡と旧野田村の境を越える峠が小村峠である。「当時は、縦には頸城と柏崎を結ぶ峰道、横には北陸道の柿崎と刈羽郡の鯖石街道を結ぶ十字路の地点」(「鵜川の話U」)であった。米山登山の野田口でもあり、米山越えの「峠越し」と言われるルートの通過点でもある。かつては、峠の行き来の人々をあらためる「番屋」と呼ばれる建物が存在したという。 四十八曲がりと言われた旧道は急勾配を直線的に登る険しいものであった。かつて、この道を通って米山をめざした人々の苦労は伺い知ることはできないが、麓から峠を見上げたときの急勾配が困難さを物語っている。しかし昭和46年、沢を大きく迂回する自動車道の完成によって旧道はその役割を終えた。 峠の頂には一本の大杉がそびえていた。そこは集落の人々の寄り合いの場であったという。大杉を中心に人々は家を建て、地理的にも精神的にも集落の中心であった大杉ではあったが、明治初年頃に落雷によって枯れてしまい、大正初年ごろにはわずかに根株のみが残った。また、大杉の脇にはお堂が建っていたが、これも明治期に焼失してしまい、この峠の歴史を語る多くの資料もまた焼失したという。また、小村峠では近隣の農民の現金収入の術として炭焼きがさかんに行われていた。麓から峠を眺めると、いくつもの炭焼きの煙が立ち昇っていたという。 |
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