大沢峠 |
←大沢峠から大沢方向をのぞむ | ||||||||||||||||||||||||||||
大沢峠は、一般地方道高柳・小国・小千谷線と大沢・川西線が分岐する地点にある。 また、古くは、柏崎方面から三国街道をつなぐ道にその名を見ることができる。道は、山室村(現大字山室)から尾根伝いに大沢峠を越え、山野田村(現小国町大字山野田)に向かうものである。 文明18年(1486)に道興准后が記した「廻国雑記」には「やすだ やまむろ みをけ しぶ川 大井 きをとしなどうちすぎて うるし山こゆ」と見える。大沢峠は、やまむろ(山室村)から宿場町みをけ(三桶村、現小国町大字三桶)へ向かう際に通ったとされる場所の一つであることが、この文から考えられる。したがって、この道が中世柏崎方面から三国街道に接続し関東に向かう最も主要なものであったことがうかがえる。 この峠を通って主に運ばれたものは、柏崎から十日町方面への海産物や、塩沢・十日町から柏崎方面への高級織物などである。当時山野田村は三桶宿の中継宿として栄えたという。(「小国町史」)。しかし、1840年頃より、大沢村から仙田村(現川西町)を経由し魚沼に通じる新脇街道が開発されると、山野田村は商荷の通行が少なくなり急速に衰退した。このため、三桶村とともに新脇街道輸送の禁止を公儀に訴えている。(「新潟県の地名」) 峠付近の「かつぼ」と呼ばれる場所に「火止め地蔵」がある。「柏崎市伝説集」には、昔、大沢集落に火事が起こった時、この地蔵を境に火勢がぴたりと止まったという話が残っているなど、大沢は伝説の多い所でもある。 柏崎から関東に向かうルートは時代とともに変化している。大沢峠を越え山野田村を通る道もそのひとつであったが、現在は通行量も少なく、当時を語る資料も少ない。 |
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