その他の峠(桜峠、尼が額峠、廻谷峠、田島峠、久之木峠、桜坂峠、榎峠)

尼が額峠から与板、八石山をのぞむ 榎峠 田島峠

桜峠
 大字水上〜大字石曽根
 標高約330mのこの峠にある桜の木をてまり木と呼んだという。八石山、黒姫山、鯖石郷を眺望できる。(「南鯖石村郷土誌」)

尼が額峠 大字与板〜大字久米字三ツ子沢
 かつてこの峠には、久米のある夫婦が子宝祈願のため建立したという6体の地蔵があった。これが与板と久米の境界線とされていたため、年貢米の割り当て計算を有利にするべく与板の人々によって無理矢理移動されたという。(「柏崎市伝説集」)

廻谷峠 大字佐水〜大字久米
 佐水の孫三郎という老人が、ある日菓子や飴の行商を終えて帰る途中、この峠で見慣れぬ商人に出会った。この商人は自分の持っているたくさんの天草と孫三郎の持っている売れ残りの菓子や飴とを交換して欲しいという。喜んで交換に応じた孫三郎だが、家に帰って見てみるとそれは苔であった。
またこの峠には、弁慶が13才の時八石山から投げたとされる大岩がある。この大岩には、弁慶の指のあとが残っていると言われる。(「柏崎市伝説集」)

田島峠 大字山室字田島〜小国町大字芝之又
 峠にかかる右手に曹洞宗晋広寺がある。ここは地域の百姓衆から作神・養蚕の神として篤く信仰されていた。(「南鯖石百姓衆の生活」)

久之木峠 大字善根〜小国町大字八王子
 この峠は八石城の下の道を通過する。八石城は「はじめは小国氏の伝えの城を兼ね小国=鯖石をつなぐ要路のおさえとして築かれたものである。後年は北条城の勢力下に入り、八石山の西側中腹に築かれている善根城の出城として、逆に小国に対する番城の役目を果たしたものであろう。」(「柏崎・刈羽の古城址」)

桜坂峠 大字折居〜吉川町大字川谷
 この付近は山菜の宝庫であり、春ともなれば、多くの人々が訪れる。

榎峠 大字大沢〜川西町大字大白倉
 目通り1丈7尺という巨大な榎があることから榎峠と名付けられた。この榎と茨目のかたがり松が連れだって上方詣りをしたという伝説がある。
 この峠道は柏崎方面から三国峠に接続し関東に向かうルートのひとつであり、5月の鯛や鰯の漁期ともなれば、荷を運ぶ人や馬の途絶えることはなかったという。
 また、次のような伝承が残っている。明治時代、榎の木の股にたまった水を目に付けるといかなる眼病も癒されるという噂が流れ、多くの人々に利用された。しかし、時の大官所の役人が、迷信打破のためこの榎を切り倒すことと決め、木こりに伐採を命じた。木こりは榎に斧を振るったはずみで斧もろとも谷底に転落した。これを見た役人はおそれをなして伐採をやめた。
 近隣の村の子供たちの遊び場所であり、御神木でもあった榎だが、昭和43年、道路拡張のため切り倒された。 



参考文献
「南鯖石百姓衆の生活」 桑山省吾 著 1991
「南鯖石村郷土誌」 南鯖石尋常高等小学校 編
「柏崎・刈羽の古城址」 山崎正治 編 1976
「柏崎市伝説集」 柏崎市教育委員会 編 1972
「小国町史 本文編」 小国町史編集委員会 編 1976

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