米山峠 |
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米山の北西麓の海岸道である米山峠は、鉢崎村(現米山町)と鯨波村(現鯨波)、旧刈羽郡と旧頸城郡を結ぶ主要道であった。 現在は、昭和41年8月の米山大橋の完成により、大型自動車の通行も可能になったが、古くは、この道は親不知、子不知と並ぶ難所中の難所として人々に知られていた。 最も深い谷とされた上輪地区の「かめわり坂」、山際をうねうねと曲がるつづらおりの道、七曲がりの坂などが知られている。特に米山三里と呼ばれる鉢崎~笠島~青海川の付近(「新潟県県民百科事典」)は、断崖絶壁を通る部分もあり、谷の上り下りのきつさ、うち寄せる波の激しさとあいまって随分と旅人を難渋させた。そのため風雨の強いときには、旅人は3日程の逗留を覚悟しなければならなかったという。 こうした険しい地形は、「米山海岸部の標高30~110mの海岸段丘は米山から流出する谷根川、払川などで渓谷状に開削され、海岸側は段丘、崖下が岩礁帯を形成している」(「角川日本地名大辞典」)など、米山から流れる河川と日本海の荒波の働きによってつくられた。 明治天皇は明治11年(1878)の北陸御巡幸の際、柏崎から柿崎に向かうにあたり、馬車が道を通れなかったため、「御板輿」に乗り、ときには自らの足でこの米山峠を越えた。(「続・こどものための柏崎物語」)この御巡幸の2年後、明治13年(1880)に、難路ながらも車道が開通した。 |
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