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国指定重要民俗無形文化財

綾  子(あやこ)   舞

 柏崎市街地から南へ16キロほど入り込んだ山里 鵜川(うかわ) 女谷(おなだに)の二つの集落( 高原田(たかんだ)下野(しもの)) に約500年前から伝承されてきた古典芸能。

 この二つの集落の間では、踊の所作や種目について多少異なった特徴があり、それぞれ競い合いながら伝統を維持してきている。またその由来に関しても種々の言い伝えがある。
 下野に伝わる言い伝えの一つを紹介しておこう。永正6年(1509年)越後守護職上杉房能は家臣の長尾為景に背かれ松之山天水越であえなく自刃した。房能の奥方綾子は侍女たちと共に、加納山の城主毛利高広の情けで匿われ、落ち延びて女谷にやって来た。そこに住みついた綾子が村人たちに伝えたのが綾子舞の始まりであるという。

 綾子舞と総称されるこの芸能は、女性によって演じられる小歌踊、男性の演ずる囃子舞、狂言の3種類からなっている。

 小歌踊は2、3人の少女が頭にユライと称する赤い布をかぶり、振袖、だらり帯、白足袋の服装で扇を持って踊るもので、「小原木踊」「常陸踊」「堺踊」など11種類ある。囃子舞は男性が一人で物まねなど、手ぶり面白く舞うもので「肴さし舞」「大黒舞」など22種ある。狂言は「三條小鍛冶」「海老すくい」など33種あり、素朴な庶民感情を反映して面白い。

 綾子舞は慶長のころ出雲大社の巫女阿国(おくに) の創始したと伝えられる阿国歌舞伎の面影を色濃く残しているといわれる。現在、徳川美術館所蔵の「歌舞伎図卷」に見られる初期歌舞伎の踊り手の振りや衣装に驚くほど共通している。 戦後間もなく中央に紹介され、学者や芸能関係者に注目されてきた。

 昭和26年県無形文化財指定。昭和51年国の重要無形民俗文化財に指定。2004年からは毎年9月第2日曜日に現地公開が行われ、県内外の愛好者で賑わう。
 数多くある演目のうちここでは7種を紹介した。陽だまりホームページにある写真情報「ふるさと情報システム」「綾子舞現地公開」も合わせて御覧いただければ幸いである。綾子舞会館地図(Google Maps)

衣装の着付けの説明

衣装の着付けの説明


 めったに見られない衣装の着付け場面。伝承500年祭(2003年9月14日)のときに公開されたもの。
はらい舞

はらい舞


 演舞の前に舞台の清めの役を果たすもの。演技の始まる前の厳粛な雰囲気をかもし出す効果を果たす。
小原木踊

小原木踊


 京の大原女が香木や野菜を売りながら、都の思い人を慕う恋心を舞っている。
海老すくい

海老すくい


 殿様が冠者に来客にもてなす御馳走に、鎌倉の海老を買ってくるよう命ずる。代物(銭)を渡さない殿様に腹を立てた冠者は一計を案じ、川で雑魚をすくって出し、腹いせをする。
三條の小鍛冶

三條の小鍛冶


 天下を治める三振りの太刀を差し出せという天子の命に、小鍛冶の宗近は春日大明神にすがる。その宗近のところに稲荷の神体狐が玉鋼を持参する。喜んだ宗近は妻、弟子、狐と力を合わせて太刀を無事仕上げる。
猩々舞

猩々舞


 日本各地からさまざまな酒癖を持った五匹の猩々たちが集まって酒盛りをし、酔っ払って舞う振舞を一人の踊り手が演ずる。庶民の生活感情を盛り込んだ舞。
堺踊(1)

堺踊(1)


 慶長年間町人文化が栄えた大坂堺の風習を、民謡調の滑稽な文句を入れながら華やかに舞っている。
堺踊(2)

堺踊(2)


 同上の一場面。ゆったりとしたたおやかな扇の扱いに堺の遊女たちの優雅な立ち居振る舞いが偲ばれる。

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2005/6/11  UP  作成:柏崎市立図書館内 NET・陽だまり   連絡はメールでどうぞ