遍澄の生い立ち

享和元年(1801)島崎(新潟県三島郡和島村)に生まれました。
父は早川甚五右衛門、家業は「かぢ職」であって、なかなかの腕達者で近郷にその名は知られた人でした。
特に「錠(ぢょう)」を造ることでは、決してほかの人には負けなかったそうです。
それで土蔵を持っているお金持ちとの交際もあって、ぢ職同業者の間でもかなり尊敬されていたということです。
遍澄はその長子で、俗名はまだ調査中とのことですが、島崎の妙徳寺の檀家や、最寄りの老人達の話では
「市内(いちない)」といっていたらしいです。




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