遍澄和尚が人に知られない理由が いくつかあります。 遍澄は良寛さんの世話に明け暮れ、 良寛さんの下で控えめで、隠れた存在の人でした。 「雄鳥(おんどり)敢(あ)えて鳴かず」の たとえの通りの人でした。 晩年には,眼を悪くして,光を失い、 思うように歩くこともできなくなりました。 そんなことで家にこもる毎日が続き、 訪れる友だちもありませんでした。 昔の人には目を悪くする人が 多かったと聞いています。