和島村島崎・木村家に
移住することになった良寛さん

良寛さんも齢(よわい)六十五ともなると、 遍澄がいなければ、毎日の生活はとてもやりきれません。
しかし、良寛さんは大自然に育まれてきただけに、 この地を去る気にはなりませんでした。
ある日のこと、托鉢に出かけ、にわか雨にあって ズブ濡れになった良寛さんは、 「おお寒い!」といって 衣服を囲炉裏で乾かしますが、 陽あたりの悪い五合庵では雨の日は 特に寒さが身にしみるところです。

  諸人のかこつ思をせきとめて
    おのれ一人に知らしめんとか

遍澄は翌日未明、五合庵を下(お)れ、 松山大年老医(良寛さんの友人)と相談し、 しばらく乙子神社境内の空庵に移ってもらうことになりました。
しかし、そこでさえも難しくなってきたので、 遍澄和尚は自分と親しくお付き合いしていた 島崎の木村元右衛門に 良寛さんの面倒をみてもらいたいと頼みました。
許しを得ると、遍澄は安心して かねがね村の人たちから頼まれていた 願王閣主となって良寛さんと別れました。


天保二年の正月六日に良寛さんは
木村邸で亡くなりました。

良寛さんは、もちろん、 木村家の主人や愛弟子とも言われた 貞心尼・遍澄和尚に看取られました。
良寛さんの最後の枕は 遍澄和尚の膝だったということです。
物言わぬ良寛さんでしたが、 遍澄和尚への思いが伝わってくるようです。


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