良寛師匠とともに遍澄和尚も
蒲原郡中島村新堀の
原田家(堂号は田連居(たづらい))を
訪れたことでしょう。
原田家は
医師原田鵲斎(じゃくさい=良寛さんより七歳年少)の家で,
良寛さんの病気をなおしたり
歌のやりとりで
親しくおつき合いした間柄でした。
ものまなび秋のたり穂のたりみちて
田つらの宿につめよとぞおもふ
これは「学問と知識を秋の穂のようにたくさん
この原田家に集めておきたいものだ。」
ということだそうです。(渡辺秀英先生注釈)
鵲斎の学問に対する熱意が
伝わってくるようですね。
またこんな歌もあります。
新田実(あらたま)の年は消えゆき年は経ぬ
花ぬす人は昔となりぬ
良寛さんはお花が大好きだったと見えて,
その花に心を奪われて、ついつい
失敬してしまいました。
その家の主人が目ざとく見つけ、
咎(とが)めました。
それがなんと、
その家の主人の、原田さんであり、
花泥棒は良寛さんでした。
そのことを歌っております。