私はこの良寛ファンタジーの作成にあたり、HTMLファイルを作る本山さんのお手伝いをしました。
私が「陽だまり」について関心を持ち、市の職員に勧められ、本山さんに初めてお会いしたのは、平成7年春、旧図書館3階「陽だまり」の部屋でした。
当時の最新鋭のパソコンと周辺機器が並んでいる部屋で、2人きりで会うと本山さんは、いきなりパソコンに向かい、私にデータの入力方法を説明し始められました。
Windows3.1が動いているパソコンで、得体の知れないMS-DOSのエディターを使い、MS-DOSのコマンドラインでファイルを取り扱っておられたので、つい「ファイルマネジャーとメモ帳を使ったら……。」と引き込まれ、数時間があっという間に過ぎてしまいました。
本山さんは「高齢者支援型総合情報システム」実験事業で、東京の支援企業から入力方法を習い、試行錯誤を繰り返して幾つかのデータを独自で入力することが出来るようになられたとのことです。教えた支援企業が「ここまで期待していなかった。」と驚いたそうです。
現在「高齢者自らがパソコンを操作してデータ入力が出来る。」と各方面から「陽だまり」が関心を持たれていますが、その基礎を本山さんが作られたのです。
「私は”ひとみず”をするんで……」といわれる本山さんですが、私は妙に気が合ってそれ以来おつき合いをお願いしています。
実はもっと前に私は本山さんに出会っていました。以前私が仕事で長野県へ単身赴任をしていたとき、パソコン通信で柏崎のネット「KISSネット」にゲストIDで接続して、柏崎日報ニュースを時々読んでいました。このボードを1人で書き込みを続けておられたのが、半角で「モトヤマトミヒサ」のハンドルネームの本山さんでした。他の広報・かしわざき、柏崎の観光案内、柏崎宿泊施設情報、などのボードは書き込みが久しくなく半ば死にかけているのに、「モトヤマトミヒサ」さんの柏崎日報ニュース、越後タイムス、良寛ファンタジーは書き込みが続けられていました。そのパワーに私は「モトヤマトミヒサという人はどんな人か?」と思っていました。
この良寛ファンタジーは、本山さんがお孫さんにパソコンの上で絵を描いて見せ、「100枚の絵を描く。」と約束をされたのが
きっかけだったと伺っています。
KISS−NETの良寛ファンタジーについて「私は良寛さんの漢詩や和歌は良く解らないのです。」、「キー入力の練習で、入力しているだけです。」と本山さんはいわれますが、良寛関係の資料・新聞記事など膨大な資料がアップロードされていました。(現在ボード上から削除されている項目が1700以上ありました。)
「図書館の一隅で涙を流しながらキーを叩いたこともある。」と漏らされたこともあります。本山さんは良寛さんの生き方に深く共鳴されており、長い間いろいろな資料を読み込まれた積み重ねの上にこの「良寛ファンタジー」はあると思います。
ホームページの最初の良寛さんの手鞠つきは、円が上下に動くサンプルを本山さんに見てもらって、「鞠の位置の違う絵を3枚」とお願いしましたら、良寛さんの腕まで動かしたものが出来上がりました。
この良寛ファンタジーは、上手な絵というものではなく、文章もわかりやすいとは言えませんが、飾り気のないひたむきな本山さんの人柄が良く現れていると思います。
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