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遺跡現地説明会 2002/9/29

琵琶島びわじま城跡

説明会の説明場所は柏崎市宮場町地内で、元城町柏崎総合高校(旧農業高校)の北側。新金曲輪橋の東側延長線上にある。
柏崎市が、市道工事に伴って道路建設予定地内を記録保存を目的に調査した。
説明会では柏崎市の文化振興課課長が挨拶をし、学芸員が現地説明をしていた。
西側から調査地域を望む調査地域を西側から見る。現在の鵜川は手前を流れているが、河川改修前は画面の右側を流れ、奥のほうで左に蛇行していた。
右側(南)の校舎ががある辺りが琵琶島城の本丸跡。
琵琶島城は南北朝時代に宇佐美氏が築いた平城。江戸時代には廃城となったと考えられている。
宇佐美氏は伊豆の有力豪族の子孫で越後国守護上杉家の家臣として、越後に入国したとされています。
溝の説明東西・南北に伸びる幅3〜4メートルの溝があり、調査地域外の北側で連結してL字型になっている堀か水路だったらしい。
溝の中には遺物がある溝の中には中世の土師器を中心に遺物が沢山出土している。
中国や朝鮮から輸入されたと思われる青磁・白磁の破片があり、身分の高い人が使っていたと見られる。
瀬戸・美濃・珠洲・越前などの国内産の陶磁器も出土している。
説明会のときに完全な形の皿が見られた。
発掘の際に遺物が見つかると、遺物のあった状態を残してその周辺を掘り進めるために、写真のように溝の中に土の柱があるように見える。
井戸井戸は15基発見されている。
水分が多いので木製品が腐らずに残っていた。
いずれも手堀りで井戸枠などは見当たらず、使用できなくなると新しく掘ったと考えられる。
柱穴掘立柱の穴と思われる穴が1400基見つかっている。
深さが1メートルもある大型の穴があり大きな建物か、櫓などがあったと考えられる。
柱は残っていなく黒い土が柱のあった痕跡がある。
遺物などから見て武士階級など身分の高い人たちが居住していた建物が並んでいたと考えられ、琵琶島城の三の丸に相当するところではないかとみられています。今後の究明が待たれます。
南北溝の西側の柱穴群には礎石として使われたと思われる石が見つかっている。
溝の東側と性格の違う建物があったらしい。
出土した仏具古瀬戸の可能性のある二個一対の鉄釉花瓶が完全な状態で出土。県内でも例が少ないという。
出土した木製品井戸跡の中から見つかった木製品。「ひしゃく」の曲げ物や「しゃもじ」などの 日用品がある。

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日付 2002/9/30 UP
写真撮影: NET・陽だまり 小竹 進
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