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柏崎市の歴史

資料:柏崎市史(市史編纂委員会)

原始(前30,000年)〜古墳時代


西暦 時代 記   事
前30,000 旧石器時代 尖頭器を中核とする石器が使用される(津南町前原、堂平遺跡)
前20,000 . 石刃技法によるナイフ形石器・石刃・彫器など石器の定型化が進む。長野県の霧ヶ峰・和田峠産の黒耀石が石器素材として持ち込まれる(津南町神山・下田村御淵上遺跡)
前14,000 . シベリア・アラスカにみられる細石器・彫刻刀形石器が普及する(剣野A・川口町荒屋・堀之内町月岡遺跡)
前12,000 縄文時代草創期 細石器が消滅し、刃部磨製丸鑿型石斧・大形石槍・有舌先頭器・矢柄研磨器などの石器が出現し、弓矢の利用が始まる(大原・下田村長坂・長岡市蛇新田・巻町福井遺跡)
. . 土器作りがはじまり、隆起線文・爪形文・円孔文・多縄文・簾状文・押圧縄文などの文様が施される(湯沢町大刈野・中里村田沢・壬・上川村小瀬ヶ沢洞窟・室谷洞窟)
前9,000 縄文時代早期 尖底の土器が作られ、縄文や撚糸文が施される(室谷洞窟・小千谷市愛染堂・湯沢町萩原B遺跡)
. . 山形文・楕円文・格子目文・市松文・綾杉文などの押型文土器が作られ、磨製石斧や石匙が製作される(室谷洞窟・津南町卯ノ木・新発田市扉山・糸魚川市岩野E遺跡)
. . 東北地方との関係を示す沈線文条土器が出現する(湯沢町上林塚・室谷洞窟・新発田市三光松山・川口町西倉・糸魚川市原山・下田村八木鼻第二岩陰遺跡)
. . 貝殻復縁の凹凸を利用した貝殻条痕文土器が作られる(夏渡谷地・塩沢町十二木・中里村鷹ノ巣)
前6,000 縄文時代前期 土器の胎土に繊維を混入され、羽状縄文を施文した土器が普及し、尖底から平底に器形に変化する(大湊・西山町高塩C・巻町新谷・室谷洞窟三層遺跡)
. . 刈羽貝塚がつくられた。また、この頃■状耳飾りが流行。
. . 半截竹管による爪形文や平行線文、結節状浮線文・三角陰刻文などの文様を施す土器がつくられた(辻の内・柿崎町鍋屋町)
前5,000 縄文時代中期 円筒文化の影響による絡状体圧痕文・木目状節束撚糸文や格子目文・隆起線文などが施された石川・富山両県と強い地域性をもつ土器がつくられた(剣野E・青木・宮平・十二沢・千古塚・十三仏塚遺跡)
. . 火焔型土器や王冠型土器がつくられ、東北地方の大木式土器の影響をうけた土器が一般化した(十三仏塚・梨の木平・岩野遺跡)
. . 大型の石囲い炉が設けられる(岩野遺跡)
. . 硬玉製大珠や石棒、土偶などの呪術・儀器に関わる遺物が発達する。集落が大規模となり遺跡数が縄文時代で最多となる。大木式土器の地域化が進行する(与三遺跡)
前4,000 縄文時代後期 新潟県地域の独自の土器である三十稲場式土器がつくられた(剣野D・久保田・長岡市三十稲場遺跡)
. . 関東の堀之内土器の影響をうけた南三十稲葉式土器がつくられる(久保田・剣野D・野崎遺跡)
. . 摩消手法により文様を描画する土器が九州を除く全国の広範囲に広がり、柏崎もその中にはいる(小丸山・小千谷市三仏生遺跡)
. . 東北地方の瘤付土器がつくられる(高畑・刈羽大平遺跡)
. . この時期、土器は小型化し、黒色化する。また、器形が多様化するとともに精製土器と粗製土器の峻別化が進行する。
. . 沖積低地に遺跡が営まれる。
前3,000 縄文時代晩期 新潟県は東北地方の亀が岡文化圏(大洞式土器)に包含される(五反田・刈羽大平遺跡・剣野C遺跡)
. . 浮線工字文や浮線網状文などが盛行して後、縄文時代は終息する(川東・長岡市藤橋・豊栄市鳥屋遺跡)
. . 石棺や土壙墓など墓制が一段と進展するとともに、土偶をはじめとする呪術的遺物が多様化する。
前300 弥生時代前期 北九州に水稲栽培をおこない、金属器と弥生土器をもつ弥生文化が始まり、次第に東日本に伝播する
前150頃 . 新潟県内に東海地方から中部山岳地帯をへて弥生文化が伝えられ、県内で縄文文化を保持してきた地域の住民は、この文化を受容して稲を作る新時代にはいった。
. . 土器の多くは縄文晩期の浮線文系統のものを使用しながらも、大型の壷形土器を用い始めた。葬送儀礼は大型の壷形土器に人骨を納めた再葬墓が営まれた(黒崎町緒立・新発田市村尻・京ケ瀬村猫山遺跡)
前100 弥生時代中期 沖積低地内の微高地に農耕集落が経営され、北陸地方経由で伝えられた櫛目文土器が盛行し、碧玉製の玉作りが盛んにおこなわれた。佐渡と信濃川以西の地域は、北陸経由の弥生文化を強くうけて、土壙墓や方形周溝墓が営まれた(下谷地・小丸山・野附・萱場遺跡)
. . 信濃川以東の地域で、西からの影響を受けながらも在地性を保つとともに岩城・岩代方面南御山式や天王山式土器が流入し、再葬墓も継続して営まれた(紫雲寺町山草荷・村上市砂山・滝の前遺跡)
100 弥生時代後期 この時期、西日本では倭国大乱をへて邪馬台国が成立する。新潟県では弥生文化が完全に定着し、磨かれたり、刷毛目整形された無文の壷・甕・長頸壷・高杯などがみられ、器形は斉一的となり、地方色を喪失する(新潟市六地山・西山町内越・長岡市横山遺跡)
. . しかし、県北半では天王山系統の土器がなお残存し、北海道の後北式土器も西山町の地までもたらされた(六地山・内越遺跡)
. . 山陰地方との関係を示すS字状スタンプ文土器や北九州の下大隈式土器が搬入された(開運橋・三条市狐崎・巻町大沢遺跡)
. . 大規模な水田が造設され、畦畔作りに矢板や杭列がもちいられ、木製農具が作られた(吉井戸口・金井町千種)
. . 環壕をもつ集落や山頂集落が営まれるようになり、地域の統合が進展しつつあった。(見附市大平・新井市斐太・糸魚川市後生山・長岡市横山・新津市八幡山遺跡)
300 古墳時代前期 大和の三輪山麓の磯城地域(本来の倭の地)に箸墓古墳をはじめとする巨大な古墳である前方後円墳が造営される
. . 大和王権が成立する
. . 新潟県では吉井行塚古墳・巻町菖蒲塚古墳・三条市山王山1号古墳の前方後円墳や巻町山谷古墳の前方後円墳、三条市山王山11号古墳・新津市八幡山古墳をはじめとする円墳が造営された
. . 畿内で成立して全国に広がった斉一性のある小型丸底壷と器台、二重口縁壷を特色とする古式土師器が生産され、葬送儀礼や祭祀などに使用される(西山町高塩B・柏崎農業高校校庭・関野・行塚・三条市狐崎遺跡)
. . 行塚遺跡で碧玉製の管玉製作が行われた
400 古墳時代中期 畿内を中心に応神天皇陵・仁徳天皇陵などをはじめとする巨大古墳が造営され、大和王権の最盛期を迎えた
. . 新潟県では、5世紀後半に頸城新井市の天神堂・観音平古墳群、魚沼六日町の飯綱山・蟻子山古墳群、蒲原三条市の山王山古墳群など初期古墳群が成立した
. . この期の遺跡として、刈羽大平・吉井野附・萱場・礼坊・戸口・関野・亀の倉などの遺跡がある
. . 朝鮮半島から技術集団の渡来によって河内の陶邑や尾張などで焼かれた須恵器がもたらされはじめた
500 古墳時代後期 横穴式石室をもつ後期の群集墳が、頸城の新井市・上越市・清里村・牧村・三和村、魚沼の塩沢町、佐渡の真野町・相川町・両津市などでつくられた
. . 鉄製農具が普及しはじめた(十日町市馬場上遺跡)
. . この期の集落に高塩B・刈羽大平・関野・亀の倉遺跡などがある

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