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柏崎市の歴史

資料:柏崎市史(市史編纂委員会)

文治2年(1186)〜寛正6年(1465)


記事末尾の( 号)は「柏崎市史資料集 古代中世篇」の文書番号
西暦 年号 月 日 記    事
1186 文治2年 2月12日 関東御知行国々内乃貢未済庄々として越後国25ヶ庄を記す。佐橋庄(六条院領)・宇河庄(前斎院領)・比角庄(穀倉院領)あり。後白河院が幕府に納入を催促(15号)
1197 建久8年 卯月24日 内蔵某・源氏女ら、上軽井川に如法経を埋納する(16号)
. . 卯月2□日 内蔵成光・源氏女ら、上軽井川に経典を埋納する(17号)
1199 正治元年 9月22日 藤原定家、刈羽郷に加えて同郷内に1所を加給される(18号)
1203 建仁3年 10月8日 鵜川荘新堂の安楽寺で、妙法蓮華経が書写・埋納される(19号)
1270 文永7年 7月15日 毛利経光、越後国佐橋南条の地頭職を四郎時親に譲る(20号)
1277 建治2年 3月 日蓮の赦免状が文永11年3月8日に佐渡につく。日蓮は寺泊・柏崎・国府をへて3月26日に鎌倉に入る(21号)
. □□□□ . 日蓮の赦免状が佐渡に着き、網羅・寺泊・柏崎・府中をへて、文永11年3月26日に鎌倉に入る(22号)
. . . 鵜河庄荻崎の極楽寺の僧契範・円観房、一遍に帰依する(23号)
1305 嘉元3年 7月26日 佐橋庄(24号)
1306 嘉元4年 6月12日 室町院領越後国佐橋庄を高倉経守に管領させる(25号)
1311 応長元年 8月8日 尼妙日、石塔を造立する。新道三諦寺裏山に埋蔵(26号)
. . 8月22日 毛利時光、佐橋庄北条に時衆道場(専称寺)を建立する(27号)
. □□□□ . 他阿真教、毛利時光に書状を送り、信心を説く(28号)
1313 正和2年 11月14日 源光広、舎兄石河大炊助三郎入道道円と、苅羽郷半分の知行をめぐる問題で和与する(29号)
1318 文保2年 2月8日 比丘妙性、石塔を造立する。新道三諦寺裏山に埋蔵(30号)
1341 暦応4年 卯月13日 上杉朝定、鵜河庄安田条上方を光福寺に寄進する(31号)
. □□□□ . 時衆過去帳に、佐橋坊主の界阿弥陀仏(貞和2・文和4・応安7)、柏崎の師阿弥陀仏(康暦元)・陵阿弥陀仏(康暦2)、専称寺尼衆の生一房(永徳3・明徳2)らが記載(32号)
1350 観応元年 4月11日 足利義詮、比角庄袋条地頭職を堀河中将基雅朝臣并源氏に安堵する(33号)
1352 正平7年 正月 宇都宮公綱か、越後柏崎における戦の軍忠状を作製する(34号)
1352 観応3年 9月3日 足利義詮、越後守護上杉憲将に、鵜河庄安田条上方の沙汰を命ずる(35号)
1355 文和4年 4月 村山隆直・風間長頼ら、尊氏方の上杉憲将・宇佐美一族と、佐美庄・柿崎で戦う(36号)
1357 延文2年 正月25日 左衛門尉某、苅羽郡埴生保の覚音寺領を安堵する(37号)
1358 延文3年 6月15日 勧進聖弘円ら、鵜河庄上条今泉村鷲尾寺に十一面観音を造立する(38号)
1360 正平15年 6月下旬 西長鳥八社宮所在石塔銘(39号)
1364 貞治3年 6月18日 穀倉院領越後国比角庄、吉良氏によって披露される(40号)
1374 応安7年 4月27日 安田道幸、鵜川庄安田条地頭職を、惣領朝広に譲る(41号)
1375 永和元年 9月6日 足利義満、鵜河庄安田条上方を、丹波安国寺へ寄附する(42号)
. . 12月12日 足利義満、鵜河庄安田条上方を、丹波安国寺へ寄附する(43号)
. □□□□ . 毛利元春、父祖の事跡を記す(44号)
1376 永和2年 9月2日 越後守護上杉憲栄、長尾景春に鵜川庄安田条地頭職を丹波安国寺雑掌に渡付ることを命ずる(45号)
1377 永和3年 5月13日 丹波安国寺領鵜河庄安田上方について毛利宮内少輔が当知行と称して抵抗する(46号)
. . 7月22日 鵜河庄安田条上方について、毛利宮内少輔の抵抗を排除して丹波安国寺雑掌に沙汰付することを、足利義満が上杉憲栄に命ずる(47号)
. . 8月9日 越後守護上杉憲栄、鵜河庄安田条上方を、毛利宮内少輔の抵抗を排除して丹波安国寺雑掌に打渡すことを、長尾景春に命ずる(48号)
. . 12月26日 鵜河庄安田条上方について、安国寺に沙汰付しようとする長尾景春の命令に対し、毛利宮内少輔が抵抗を示す(49号)
1378 永和4年 3月2日 鵜河庄安田条上方における毛利宮内少輔の抵抗について、長尾景春からの注進を上杉憲栄が奉行所へ披露する(50号)
. . 7月2日 鵜河庄についての上杉満朝の注進により足利義満は毛利宮内少輔の抵抗を排除することを上杉憲栄に命ずる(51号)
1380 康暦2年 6月28日 足利義満、鵜河庄安田条地頭職について毛利宮内少輔から毛利憲朝への相続を認める(52号)
1382 永徳2年 12月19日 長尾景春、安田(毛利)憲朝に対し、小加礼井村での違乱を認めないことを申し送る(53号)
1386 至徳3年 . 万寿禅寺領に佐橋庄が見える(54号)
1389 康応元年 6月21日 足利義満、佐橋庄地頭を毛利大膳大夫(元豊か)が相続することを認める(55号)
. . 10月22日 足利義満が鵜河庄安田条上方について、毛利宮内少輔の抵抗を排除し安国寺雑掌に沙汰付することを、上杉朝房に命ずる(56号)
1399 応永6年 10月20日 足利義持、清浄光寺・遊行金光寺等の人夫・馬雑駄の通行に対し、違犯のないように命ずる(57号)
1402 応永9年 8月3日 長尾実景等21名、鞍馬寺に各馬一疋を寄進する(58号)
1407 応永14年 12月23日 鵜河庄安田条地頭職について、安田憲朝は、嫡子房朝の手からとりあげ、弟亀一丸(道元)らに譲る(59号)
. . 12月26日 安田憲朝は、亀一丸への相続に際し、所領の置文を作成する(60号)
1409 応永16年 3月晦日 覚園寺評定衆、越後宮河自在寺を覚園寺へ寄進する(61号)
1411 応永18年 8月19日 居多神社、社領注文を作成する。苅羽郡内の田沢・蕉守あり(62号)
1415 応永22年 8月21日 越後守護上杉房方、毛利道元に大面庄吉野屋条を宛行う(63号)
. . 8月23日 越後守護上杉房方、毛利道元に大面庄吉野屋条を宛行う(64号)
1426 応永33年 3月20日 上杉房朝、毛利道元に蒲原郡弥彦庄内下条・船越両条を打渡す(65号)
. □□□□ 4月29日 上杉房朝、鵜河庄安田条内井河内山境が毛利道元の知行分であることを保障する(66号)
. 6月30日 長尾高景、佐渡発向につき柏崎にて船を整える(67号)
1430 永享2年 4月21日 長尾邦景、諏訪部孫五郎に命じ、垣沢四郎知行分神田を安田道元に打渡させる(68号)
. □□□□ . 謡曲「柏崎」(69号)
1430 永享2年 11月11日 能の鵜飼・柏崎などは榎並左衛門五郎の作(70号)
. . 12月12日 石清水八幡宮神人の右衛門四郎と五郎左衛門尉宗貞、柏崎住民道秀入道遺跡をめぐって相論する(71号)
1437 永享9年 6月12日 蔵屋弥太郎、苅羽郡吉井大弐の旦那を売却する(72号)
1441 嘉吉元年 4月 結城合戦、結城城落ち、朝範・千手丸は佐橋の森の大沢に生捕られる(73号)
1445 嘉吉2年 11月6日 鵜河庄住人道吉右近五郎、岩船神社に鰐口を寄進する(74号)
1452 享徳元年 9月18日 上杉房定、安田道元に某所の知行を保障する(75号)
1454 享徳3年 4月28日 中条房資、中条家記録を作成する。上杉房朝が越後に入り、佐橋の毛利刑部少輔を討ったことが記録(嘉吉3年か)(76号)
1457 康正3年 6月19日 北条広栄、佐橋庄北条之内所々を、専称寺領として寄進する(77号)
. . 6月19日 北条広栄、永鳥条内なかむね名を広称院領として寄進する(78号)
. . 11月27日 南条広信、北条天神田を専称寺へ寄進する(79号)
1462 寛正3年 7月 斎藤定信、苅羽郡竹町の名田坪付注文を作成する(80号)
. . 7月25日 斎藤定信、苅羽郡原田保内の田・屋敷を善照寺住持の増珎房へ売却する(81・82号)
. . 11月28日 斎藤定信、苅羽郡内某所を、善照寺増珎房へ売却する(83号)
. . 12月27日 安田道元、鵜河庄安田条以下の所領を嫡子重広に譲渡する(84号)
1463 寛正4年 4月8日 斎藤定信、苅羽郡内某所の山屋敷を、善照寺増珎房へ売却する(85号)
. . 4月20日 斎藤定信、苅羽郡内某所の田地を善照寺増珎房へ売却する(86号)
1465 寛正6年 2月5日 斎藤定信、苅羽郡竹町貴船田の田地を、善照寺増珎房へ売却する(87号)
. . 5月27日 斎藤定信、苅羽郡竹町の田地を善照寺へ売却する(88号)
. . 12月14日 斎藤定信、苅羽郡仁王経田を善照寺増珎房へ売却する(89号)

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