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資料:柏崎市史(市史編纂委員会
西暦 | 年号 | 月 日 | 記 事 |
---|---|---|---|
1545 | 天文14年 | 3月24日 | 長尾景虎、専称寺の寺領を安堵する(212号) |
. | . | 11月23日 | 北条高広、延寿寺の寺家寺領を安堵する(213号) |
1547 | 天文16年 | 11月10日 | 北条高広、専称寺寺領と3ヶ所の小寺社に関する新段銭について、7貫文以外を寄進する(214号) |
1548 | 天文17年 | 5月11日 | 長尾景虎、米山における難波陸右衛門の戦功に対し、宇佐美駿河守の承認のもとに感状を発給する(215号) |
. | (天文18年) | 6月20日 | 本庄実乃、宇佐美駿河守の要害への放火について、平子孫太郎に抗議(216号) |
. | (天文18年) | 7月4日 | 宇佐美駿河守要害への放火について、平子孫太郎がとった処置を、本庄実乃は景虎に披露する(217号) |
1550 | 天文19年 | . | 輝虎(か)、下乃宮に神領30貫文を寄進する(218号) |
. | . | 5月13日 | 齋藤朝信、菊尾寺の寺領を安堵する(219号) |
. | (天文19年) | 5月5日 | 安田景元、景虎が京都より格式をゆるされた祝として、太刀1腰を景虎に送る(220号) |
1550 | 天文19年 | 8月5日 | 北条高広、八幡宮の社殿を造営する(221号) |
. | (天文20年) | 正月16日 | 長尾政景、景虎方との抗争における穴沢長勝の戦功を賞す(222号) |
. | (天文20年) | 正月18日 | 長尾政景、景虎方との抗争における小平尾の戦力を賞す(223号) |
1551 | 天文20年 | 4月7日 | 北条高広、専称寺への寺領の新役7貫文を寄進する(224号) |
. | (天文21年) | 7月8日 | 安田景元、景虎に賜官の祝儀として太刀1腰と100疋を送る(225号) |
. | (天文22年) | 12月3日 | 長尾景虎、11月に信州において武田勢と戦う。景虎は戦況を京都に伝える(226号) |
. | (天文23年) | 9月20日 | 北条高広、専称寺の陣夫役を免除する(227・228号) |
. | □□□□ | . | 本願寺証如自署のある御文1冊(229号) |
. | (天文24年) | 正月14日 | 北条高広、武田信玄に応ずる。長尾宗心(景虎)、安田景元に上条・琵琶嶋での働きを要請する(230号) |
1555 | 天文24年 | 2月3日 | 長尾景虎、善根における安田景元の戦力を賞す(231号) |
. | (天文24年) | 2月13日 | 長尾景虎、北条氏の反乱における安田景元の戦功を賞す(232号) |
1557 | 弘冶3年 | 4月7日 | 北条高広、専念寺に対し新役・寺家門前・山屋敷等の不入を安堵する(233号) |
1558 | 弘冶4年 | 6月3日 | 北条高広、専称寺に対し、山俣善照寺道場分700苅に山屋敷200苅を副えて寄進する(234号) |
1559 | 永禄か2年 | 5月21日 | 大泉寺観音堂肘木墨書(235号) |
. | . | 9月 | 刈羽郡北条住人能面墨書(236・237号) |
1560 | 永禄3年 | 3月 | 長尾景虎、越中国新河郡の太田上郷道場寺家同前について、越後勢の濫防を停止する旨の制札を出す。齋藤朝信・北条高広を奉行とする(238号) |
. | . | 3月 | 景虎(か)、鵜川8社に対する禁制を出す(239号) |
. | . | 5月13日 | 景虎、府内の課役を5ヶ年免除する。北条高広・齋藤朝信以下4氏を奉行とする(240号) |
. | . | 5月 | 景虎、居多神社に対する制札を出す。北条・齋藤以下4氏を奉行とする(241号) |
. | . | 10月 | 貫屋家兼知行分の、琵琶嶋・半田以下の道者を北民部丞に売却する(242号) |
. | . | 12月27日 | 景虎、武蔵国棒沢郡内10ヶ村の年行事について、宝積坊の領知を安堵する。北条高広・長尾藤景を奉行とする(243号) |
. | . | 12月 | 景虎、相州比企谷妙本寺に対する軍勢の濫妨を停止する。北条高広・長尾藤景を奉行とする(244号) |
. | (永禄4年) | 6月10日 | これより先、景虎は関東に出兵し、上杉姓と関東管領職をつぎ、名を政虎と改める(245号) |
1561 | 永禄4年 | 9月9日 | 政虎、本庄繁長を海津城将とし、武田勢に備える(246号) |
. | . | 12月27日 | 輝虎、妙沢小屋に対する越後・関東勢の濫妨を停止する。北条高広を奉行とする(247号) |
1562 | 永禄5年 | 5月 | 北条高広、善照寺の諸役免許を安堵する(248号) |
. | (永禄5年) | 11月27日 | 河田長親、関東出陣にあたり柏崎に着陣する(249号) |
1563 | 永禄6年 | 4月6日 | 北条高広、某源八郎に対し、鷹取黒部新6給分・役銭等を宛行う(250号) |
. | . | 7月18日 | 輝虎、飯塚八幡宮別当極楽寺に命じて、武田信玄・北条氏康を調伏させる(251号) |
. | . | 8月9日 | 延寿寺専永、愛宕別当職を、北条高広の判形を添えて民部太夫に譲渡する(252号) |
. | . | 12月4日 | 長尾政景、大窪歌代神五郎に梵鐘鑄造の業を許す(253号) |
. | . | 12月 | 輝虎、鯨波妙智寺(か)に対し、軍勢の違乱を停止する制札を出す(254号) |
1564 | 永禄7年 | 2月17日 | 輝虎、齋藤朝信の被官・又被官に対し、下野佐野城攻撃における感状を発給する(255号) |
. | . | . | 斎藤下野守宛上杉輝虎感状封紙(256号) |
. | . | 4月20日 | 輝虎、柏崎町再建のための制札を出す(257号) |
. | . | 5月13日 | 輝虎、飯塚八幡宮に対し、武田信玄調伏の願文を出す(258号) |
. | (永禄7年) | 7月2日 | 佐竹義昭、輝虎の関東出陣に対し、常陸沼崎郷・前野郷等を進める(259号) |
. | (永禄7年) | 7月29日 | 輝虎、関東への出陣を前に、武州の備えを固めさせる(260号) |
. | (永禄7年) | 8月4日 | 輝虎、川中島に出陣する。あわせて佐竹義昭に対し、北条氏康への備えを要請する(261号) |
. | (永禄7年) | 9月6日 | 北条氏康、上野関宿を攻める。梁田政信・長尾景長とともに北条高広が備えを固める(262号) |
. | (永禄7年) | 10月16日 | 輝虎、北条高広からの註進により、関東に出陣することを、富岡重朝に約す(263号) |
. | . | □□□□ | 輝虎、関東諸士の陣立書を作成する。北条高広の名もあり(264号) |
1565 | (永禄8年) | 正月12日 | 長楽寺の僧義哲、新春にあたり北条高広・同助三郎へ樽代・雲脚を進上する(265・266号) |
1565 | 永禄8年 | 3月5日 | 政藤、茨目白山宮千二百苅分を千日神大夫に寄進する(267号) |
. | (永禄8年) | 5月22日 | 武田晴信の安中口出張という北条高広からの註進に際し、輝虎は長尾伊勢守・栗林政頼に出陣の用意をさせる(268号) |
1565 | 永禄8年 | 5月24日 | 小せうしやう、鯨波の内観音堂分・薬子堂分を源綱に寄進する(269号) |
. | (永禄8年) | 6月26日 | 信濃への出陣に際し、北条高広に協力して北条氏康を索制するよう、輝虎は富岡重朝に要請する(270号) |
. | (永禄8年) | 7月17日 | 関東への出陣を前にして、輝虎は北条高広・河田長親を沼田に集結させ準備させる(271号) |
. | (永禄8年) | 7月23日 | 輝虎は7月24日に信濃に出陣することを決意し、北条高広らに西上州の兵を信濃へ送るよう命令する(272号) |
. | (永禄8年) | 7月28日 | 輝虎は出陣にあたり、野田右馬助に参陣を促す(273号) |
1565 | 永禄8年 | 7月晦日 | 北条高広、細井における善勝寺寺領を安堵する(274号) |
. | . | 9月晦日 | 北条高広、善勝寺の諸役免許し、寺領21貫文を安堵する(275号) |
. | . | . | 北条丹後守宛佐竹義昭書状断簡(276号) |
. | (永禄8年) | 11月21日 | 輝虎、関東に出陣し、里見氏に参陣を要請する(277号) |
1566 | 永禄9年 | 2月 | 輝虎、下総国法花寺に対し、軍勢の濫妨を停止する制札を出す。北条高広・直江景綱・河田長親を奉行とする(278号) |
. | 永禄9年 | 3月3日 | 相馬治胤、輝虎の関東出陣に際し、北条高広、河田長親のもとへ軍勢を送る(279号) |
. | (永禄9年) | 4月9日 | 輝虎、富岡重朝に対し、北条高広に協力して軍事行動するよう要請する(280号) |
1566 | (永禄9年) | 5月13日 | 輝虎、柏崎町の諸役を免除し、発展をはかる(281号) |
. | . | 11月15日 | 北条高広、上野国柏倉郷内の深須修理亮分等を三夜沢社へ寄進する(282号) |
. | (永禄10年) | 2月8日 | 輝虎、北条高広に対し、軍勢の仕置等を指示する(283号) |
1567 | 永禄10年 | 2月9日 | 輝虎、北条右衛門に新地を宛行う(284号) |
. | (永禄10年) | 3月15日 | 佐竹義重、輝虎に離反し、信玄と通ずる(285号) |
. | (永禄10年) | 4月6日 | 輝虎、松本・小中・新発田らに上田衆と協力させる(286号) |
1567 | 永禄10年 | 5月 | 北条高広、善勝寺に対し諸役免許とする(287号) |
. | □□□□ | 9月27日 | 輝虎、太田資正の忠義を喜ぶ。佐竹らの離反は北条高広の勝手なふるまいに原因があるとする(288号) |
. | (永禄10年) | 11月12日 | 輝虎が沼田まで退いたことを、北条高広・由良成繁が氏政へ註進する(289号) |
1567 | 永禄10年 | . | 由良成繁、北条方に属す(290号) |
. | (永禄11年) | 8月10日 | 信州長沼における武田信玄の在陣に対し、輝虎は上杉景信・黒滝衆を派遣する。また、宇佐美平八郎らに防戦させる(291号) |
1568 | 永禄11年 | 10月16日 | 輝虎、本庄氏の離反に際し、人留を実施する(292号) |
. | (永禄11年) | 10月22日 | 輝虎、本庄繁長との抗争にあたって 、柏崎から新潟へ進軍する。上田衆にも三ヶ津への出陣を要請する(293号) |
. | 永禄11年 | 12月24日 | 北条高定、山崎秀仙とともに越相講和を進める(294号) |
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