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柏崎市の歴史

資料:柏崎市史(市史編纂委員会

永禄12年(1569)〜天正6年(1578)


記事末尾の( 号)は「柏崎市史資料集 古代中世篇」の文書番号
西暦 年号 月 日 記    事
1569 (永禄12年) 2月11日 太田資正、関東での戦況を報告する(295号)
. (永禄12年) 2月29日 輝虎、伊達輝宗・蘆名盛氏の意見により、本庄繁長の赦免を決意する。あわせて越相講和を進める(296号)
. (永禄12年) 4月27日 越相講和にともない、北条高広赦免される(297号)
. (永禄12年) 5月18日 北条氏康の使者、越後へ来る(298号)
. (永禄12年) 5月16日 広泰寺昌派、輝虎の使者として関東へ向かう(299号)
. (永禄12年) 8月22日 下渡嶋での抗争にあたり、輝虎は式部・北条らを信州口により差し向ける(300号)
. (永禄12年) 9月20日 輝虎、下総から北条勢力を排除し、自己の支配下におこうとする。北条高広をして氏政と協議させる(301号)
. (永禄12年) 10月16日 氏政、輝虎への養子を、子から弟へ変更する(302号)
. (永禄12年) 11月13日 輝虎、10月より越中に出陣する。氏康、輝虎の信濃出兵を要請する(303号)
. (永禄12年) . 中条藤資、黒川氏との所領紛争にあたり、輝虎に調停を求める(304号)
. □□□□ 3月26日 輝虎、北条高広からの報告により、関東での抗争について北条景広に指示する(305号)
. □□□□ 12月5日 信玄、北条高広が輝虎から離反したことを満足とする(306号)
. (永禄13年) 4月1日 真壁氏就、北条高広を通じて、越相一和を祝す(307号)
. □□□□ 3月25日 輝虎、北条高広に対して関東での軍事行動を指示する(308号)
. □□□□ 6月3日 齋藤下野守、合沢分を東福院へ寄進する。輝虎、これを承認する(309号)
. □□□□ 7月23日 輝虎、安田惣八郎に「顕」の一字を与える。その結果、惣八郎は安田顕元と名のる(310号)
. □□□□ . 某条目に、北条(高広)之事の記載あり(311号)
1570 元亀元年 4月9日 輝虎、小吉豊守に命じて、養子三郎(北条氏秀)を厩橋に参着させる(312号)
. (元亀元年) 8月12日 山角康定、北条高広に対し武田信玄の伊豆韮山出陣を知らせ、あわせて輝虎の援軍を要請する(313号)
. (元亀元年) 8月12日 北条氏政、北条高広に対し信玄の伊豆韮山出陣を知らせ、あわせて輝虎の越山を要請する(314号)
. (元亀元年) 9月15日 謙信、信玄の上野出陣を聞き、板屋修理亮に沼田城入城を命ずる(315号)
. □□□□ 4月20日 輝虎、安田能元を出陣させ、上倉下総守らとともに某所の備えを固めさせる(316号)
. □□□□ 4月20日 輝虎、河田長親、北条高広に対し上野の長井・倉内の備えについて指示する(317号)
. □□□□ 9月7日 北条高広、出陣要請をうけて、輝虎に越山を願う(318号)
. (元亀2年) 2月28日 謙信、信玄の退陣を聞き、関東の兵を引かせ越中へ出陣する(319号)
. (元亀2年) 3月23日 謙信、上野の赤堀氏に越山の心積もりを知らせる(320号)
1571 元亀2年 4月16日 北条高広、厩橋八幡宮を諸役停止とする(321号)
. . 4月16日 北条高広、厩橋八幡宮に対し、真壁三清寺分から赤城の神領と泉浄寺3貫文の地を寄進する(322号)
. (元亀2年) 4月28日 謙信、武田信玄の関東出陣を聞き、上田衆に出陣の用意をさせる(323号)
1571 元亀2年 5月16日 齋藤朝信、菊尾寺の寺領を安堵する(324号)
. . 8月24日 北条高広、信州口における村山惣八郎の功を賞し、感状を発給する(325号)
. (元亀2年) 11月10日 北条氏政、謙信との同盟を破棄し、武田信玄と結ぼうとする(326号)
. (元亀2年) 12月5日 武田信玄、北条高広と通ずる(327号)
. (元亀2年) 12月16日 菅谷全久、輝虎による関東平定を念願する(328号)
. (元亀2年) 12月17日 相甲講和、成立する(329号)
. (元亀3年) 2月16日 北条軍、厩橋城を占領する。謙信、上田衆に出陣を命ずる(330号)
. (元亀3年) 4月16日 謙信、越中講話を信玄と協議する(331号)
. (元亀3年) 5月14日 謙信、北条高広に来秋の越山を知らせる(332号)
. (元亀3年) 6月12日 佐竹義重、結城晴朝との和談を謙信に申し送る(333号)
. (元亀3年) 8月18日 謙信、越中に出馬し、関東へ越山中の留守を河田重親に命ずる(334号)
. (元亀3年) 9月18日 信玄出陣のうわさを聞き、謙信は長尾喜平次(景勝)を春日山城に入れ、備えを強化させる(336号)
. (元亀3年) 9月22日 北条弥五郎・丹後守宛上杉謙信書状(337号)
. (元亀3年) 10月18日 謙信、信長、家康と結び、信玄に抵抗しようとする(337号)
. (元亀3年) 12月13日 北条高広、三夜沢宮中の代替知行以下を奈良原紀伊守父子の策配に任せる(338・339号)
1573 元亀4年 3月5日 謙信、富山城を攻める。さらに信玄・氏政の動きに配慮する(340号)
. (元亀4年) 4月19日 結城晴朝、氏政の出陣に対して北条弥五郎に救援を求める(341号)
1573 天正元年 8月1日 長尾憲景・北条高広、氏政の動向を謙信に知らせ、越山を要請する(342号)
. □□□□ 11月10日 武田信玄、雨宮淡路守を小幡民部助のもとへ遣し、北条高広の動きを監視させる(343号)
. (天正2年) 2月5日 謙信、上野の由良成繁を攻める。また、後藤勝元・新六に氏政の動向を注進するよう命ずる(344号)
. (天正2年) . 北条高広、鶏足寺金剛院よりの判形申請を謙信に取次ぐ(345号)
. (天正2年) 3月27日 倉賀野尚行、由良攻めにおける戦況を北条高定らに報告する(346号)
1574 天正2年 3月27日 小倭右近後室、専称寺に対し、ほそこへ75束苅等を寄進する(347号)
. (天正2年) 4月13日 謙信、上野大輸において北条勢と対陣する(348号)
. (天正2年) 5月30日 謙信、関東における戦果と帰国予定を直江景綱に伝える。また、上方における本願寺顕如の勢力拡大と信長の後退を聞き喜ぶ(349号)
1574 天正2年 10月1日 北条高広、専念寺の寺領を安堵する(350号)
. (天正2年) 10月9日 北条方と戦う里見氏に対し、謙信は後詰として越山することを太田康資に知らせる(351号)
. (天正2年) 11月7日 佐竹義重、北条父子(高広、景広)へ戦況を知らせる(352号)
. □□□□ 3月21日 北条高広、喜江資堅に対し、春日の火の用心・春日城の留守等に油断ないことを知らせ、あわせて助三郎の奉公を依頼する(353・355号)
. □□□□ . 謙信、軍役帳を作成する(354号)
1575 天正3年 6月 謙信、荒井町問屋を和田六右衛門に定め、伝馬宿送役を町中に申付ける事を命ずる。斎藤朝信・竹俣慶綱・柴田尾張守を奉行とする(355・356号)
. □□□□ 11月4日 謙信、北条丹後守等へ関東についての状況を知らせる(357号)
1576 天正4年 7月2日 政勝、八幡田を千日太夫に宛行う(358号)
. □□□□ 正月20日 正木憲時、謙信の越山を要請する(359号)
1577 天正5年 2月 齋藤朝信、法持寺内での無道狼藉を停止する(360号)
. (天正5年) 3月29日 謙信、関東の河田重親に対し、直江景綱を後詰めとして出兵させることを申し送る(361号)
. (天正5年) 8月22日 謙信、越中・加賀より帰国したことを、北条父子(高広・景広)に伝える(362号)
. (天正5年) 9月15日 謙信、七尾城を攻略する。北条父子に越山の予定を伝える(363号)
. (天正5年) 9月16日 北条高広、三夜沢神主宮内少輔に対し、上野勢多郡大胡郷中心落の勧進を安堵する(364・365号)
. (天正5年) 11月16日 謙信、能登諸城に制札を掲げる(366号)
. (天正5年) 12月18日 謙信、七尾城将畠山義隆の息子を養子とすることについて、北条高広の意見を求める(367号)
. (天正5年) 12月23日 謙信、上杉家中名字尽手本を作成する(368号)
. □□□□ 正月15日 謙信、北条父子に対し、河田重親と談合して厩橋の備えにあたるよう命ずる(369号)
. □□□□ 正月28日 謙信、安田久千代丸に弥九郎の名乗を与える(370号)
. □□□□ 5月18日 謙信、赤坂上野介に対し、北条父子と協力して備えを固めるよう命ずる(371・372号)
. □□□□ 9月18日 謙信、齋藤下野守等へ国境の固めについて知らせる(373号)
. □□□□ 正月5日 謙信、北条長門守より、新年の賀祥として太刀一腰が到来したことを喜ぶ(374号)
. (天正6年) 2月10日 謙信、関東出兵の準備をする(375号)
. (天正6年) 3月26日 北条父子、関東の状況を報告する(376号)
. (天正6年) 3月27日 北条父子、謙信の死去による関東の動揺を越後の吉江に伝える(377号)
. (天正6年) 3月28日 神余親綱、北条下総守(高定)等に謙信死後の状況について知らせる(378号)
. (天正6年) 4月15日 上杉景勝、北条長門守に対し、関東での備えを固めるように命ずる(379号)
. (天正6年) 4月20日 本庄繁長、景勝に忠心を誓う(380号)
, (天正6年) 5月6日 景勝、本庄秀綱の与板浸入を聞き、斎藤朝信に加勢として与板に向かうよう要請する(381号)
. (天正6年) 5月7日 北条重治、八崎での戦闘における河田重親家中高橋桂介の功を賞す(382号)
. (天正6年) 5月10日 景勝、北条高常父子の討伐における岡田十左衛門の功を賞す(383号)
. (天正6年) 5月10日 斎藤朝信、与板への加勢を景勝より命ぜられたことを、斎藤四郎兵衛に伝える(384号)
. (天正6年) 5月12日 直江重綱・今井久家、刈羽郡赤田への景勝よりの加勢を謝し、あわせて芹河における栃尾衆との戦闘を報告する(386号)
. (天正6年) 6月7日 跡部勝資、斎藤朝信・安田顕元らに、武田勝頼との同盟について伝える(387号)
. (天正6年) 6月8日 景勝、北条父子に対し、勝頼との同盟・阿賀北衆の春日山在城等を伝え、関東方面の人留を命ずる(388号)
. (天正6年) 6月10日 氏政、北条父子とともに上杉影虎の後盾として越後へ向かう決意を、由良成繁・国繁に伝える(389号)
. □□□□ 6月23日 景勝、府中における板屋修理亮の戦功を賞し、さらに琵琶島へ向かったことに満足する(390号)
. (天正6年) 6月24日 勝頼、景勝と同盟する。また、斎藤朝信に対し、景勝への諫言を要請する(391号)
. □□□□ . 斎藤下野守宛武田勝頼書状封紙(392号)
. (天正6年) 6月 北条高広、景虎に味方し、上田坂戸城を攻める(393号)
. (天正6年) 7月5日 景勝、北条高広の上田侵入を聞き、登坂・樋口・深沢の三氏に備えを固めさせ、普請を命ずる(394号)
. (天正6年) 8月23日 上杉家奉行の斎藤朝信・竹俣慶綱・柴田尾張守、能登塩津の四郎右衛門尉に海上の御用をまかせる(395号)
. (天正6年) 9月2日 景勝、北条高広に八崎への出陣を要請し、さらに北条氏政の援軍を願う(396号)
. (天正6年) 9月23日 景勝、北条父子はじめ関東よりの援軍のあることを鮎川盛長に伝える(397号)
. (天正6年) 9月24日 勝頼、景勝と景虎との間の争いが落着しないことを歎き、斎藤朝信ら景勝奉行に、備えを固めるように要請する(398号)
. (天正6年) 10月7日 村上国清、北条高広の府中入りを聞き、遠藤・富所・上野・林部の4氏に旗持山の備えを固めさせる(399号)
. (天正6年) 10月10日 景虎、某氏に対し、北条高広に従って在陣するよう要請する(400号)
. (天正6年) 10月12日 景勝、河田重親の守る樺沢城に北条高広が乱入したことを聞き、重親の防戦を励ます(401号)
. (天正6年) 10月15日 景勝、北条高広が旗持に侵入したことを聞き、佐野清左衛門の防戦を励ます(402号)
. (天正6年) 10月20日 直江信綱、北条景広との戦いにおける池浦喜右衛門の功を賞す(403号)
. (天正6年) 10月24日 景勝、御館における菱沼友重・佐野清左衛門尉の功を賞し、米山方面へ逃げる敵の追撃を命ずる(404号)
1578 天正6年 10月28日 景虎、赤川新兵衛尉ならびに一揆中に対し、道場の建立を認める(405号)
. (天正6年) 11月3日 景虎、琵琶島善次郎の戦功を賞し、さらに備えを固めさせる(406号)
. (天正6年) 11月4日 景勝、佐野清左衛門尉に備えを固めさせ、琵琶島の動向を注進するように命ずる(407号)
. (天正6年) 11月14日 梶原政景、北条父子に対し、越後と甲斐の和談が進展することを望む(408号)
. (天正6年) 12月16日 山崎秀仙、上野九兵衛門尉に対し、河田重親の春日山入城を伝え、あわせて旗持衆を率いての出兵を要請する(409号)
. □□□□ 5月24日 北条景広、堀内孫三郎分篠河等を某に宛行う(410号)
. □□□□ . 某覚書案に、せこん(善根)・やすた(安田)のことなどが見える(411号)
. □□□□ . 某条書案に、北条高広のことなどがみえる(412号)

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