薪を担(にな)う良寛さん(35/100)
春山に入って薪を拾い、背負いながら山坂を上り下りして来たが、とても疲れて松の木の下で一息いれました。
すると涼しい風が、サッと汗でぬれた身体を吹き抜けます。
それがなんとも言えない良い気持ちです。
すると近くでキジのけたたましい鳴き声がしてこちらに近づいてきます。
聞き耳を立てながらジッと聞き入っている良寛さん。
この静けさが、独り身の良寛さんをどんなにか優しく労(いたわ)ってくれたことでしょう。
良寛さんが生きている証拠かナ。

  薪を担うて 翠岑(すいしん)を下る 翠岑 道平かならず 時に息(いこ)う 長松の下(もと) 静かに聞く 春禽(しゅんきん)の声


孤独な良寛さん(36/100)
良寛さんは周りの人にようやく理解されて、幸せな毎日を送ることが出来るようになりました。
しかし世間の輪の中に埋没するようなことは決してしませんでした。
いつも何かを自分で考え、何かに挑戦していました。
結局世間になじめない人柄だったのでしょう。
良寛さんのこの気持を理解する人が今もいます。
自分が本当に孤独だと思っていたある芸術家の一人がつぶやいています。

  孤独なとき人は良寛を思う (北大路魯山:書家・陶芸料理の美術家。晩年はスキャンダルと嘲笑、冷淡のもとで孤独の日々を送った)

  独り孤松(こしょう)に倚(よ)りて立ち 偶爾(ぐうじ)に時を移す 茫々(ぼうぼう)たり 満天下 誰とともにか 同じく帰(き)せん


想いに沈む良寛さん(37/100)
人里離れた山奥で一人暮らしの良寛さんはさすがに寂しい時もあったでしょう。
そんなときは好きな歌を作ったり詩を書いて気を紛らわすひとときもありました。
四方八方行き詰まりながらも良寛さんは、けなげにも生き続けるのでした。

  いかにしてまことの道にかなはんと ひとへにおもふねてもさめても

  わがことやはかなきものはまたもあらじ おもへばいよよはかなかりけり

  長崎(新潟県分水町の長崎)の森のカラスの鳴かぬ日は あれども袖のぬれね日ぞなし

  いかにしてまことの路にかなひなむ 千とせのうちの一日なりとも

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