月よみ(月夜見、月詠)の良寛さん(38/100)
ひとりぼっちの良寛さん。
いつも相手になってくれるのは、夜ごとに輝くお月様でした。
お月さまは何もいわないけれどじっと見上げていると、自分の心が澄んできていろいろな思いがわいてきます。
その思いを綴(つづ)った歌がたくさんあります。

  いざ歌へわれは舞はんぬばたまの 今宵の月にいねるべしや

  風は清し月はさやけしいざともに 踊りあかさん老のなごりに

  白妙(しろたえ)の衣手さむし秋の夜の 月中空(なかそら)に澄みわたるかも


良寛さんにとって国上(くがみ)山は浄土の地(39/100)
ひとりで暮らしいるこの五合庵は、人里遠く離れた国上山のふもとにあります。
山から薪や谷から水を汲んできたりすることはとても辛いけれど、だからといって山を下りて人の住むところにいこうとは思いません。
ここが一番住みいい処(ところ)だと良寛さんは言っています。

  疥狗(かいく)天に生ぜず 雲中の白鶴を笑う

ひぜんかきの犬(自分のこと)は地上のここに満足して、空飛ぶ白鶴をうらやましがらない。
自分の現にいるここが蓬莱山(宗教上の極楽)なのだ。
私にとって国上が私の浄土なのだ。(「良寛をめぐる女たち)北川省一 考古堂」


乙子の草庵(40/100)
五合庵での生活が一番よいのだと自分で自分に言い聞かせていても、毎日の煮炊きに使う薪や水の運搬の苦労は、この年齢では並大抵なことではありませんでした。
それを知った法弟(弟子)の遍澄は、見るに見かねて人里に近い乙子の庵(いおり)を紹介してくれました。
「ここ(五合庵)にいたい」という思いを捨てて、五合庵を去る決心をした良寛さんでした。

  行く水は せけばとまるを たかやまは こぼてば岡と なるものを 
  過ぎし月日の かへるとは ふみにも見えず
  うつせみの ひとにもきかず いにしへも かくしあるらし
  今の世も かくぞありける 後の世も かくこそあらめ
  かにかくに すべなきものは 老いにぞありける

この老齢となっては運命と諦(あきら)めているような歌です。

  あしびきの 国上の山の 山かげの 森の下やに 幾としか
  我が住みにしを 唐ごろも もちてし来れば 夏くさの 思ひしなえて 夕づつの
  か行きかく行き そのいほの かくるるまでに その森の見えずなるまで
  玉鉾(たまぼこ)の 道のくまごと 隅(くま)もおちず かへり見ぞする その山の辺を

「隠れて生きよ」に徹して、人も通わぬ山奥の五合庵を立ち去る決心をした良寛さんでした。
せつない気持ちをこのように歌っています。
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