思索(詩作)する良寛さん(その1)(41/100)
この俺にこんなこともあったケなあ。
青陽の二月のはじめ、やや春めいて、あたり一面見違えるように生き生きとして真新しい緑の息吹を感じられるようになってきました。
この時とばかり、托鉢の頭陀(ずた)袋と鉢を持ってのんびりと村を目指して歩いていきます。
すると私を見つけて子供たちが寄ってきて、鉢と袋を取り上げ裾を引っ張って、お寺の境内につれて行くのです。
鉢は石の上に米袋は木の枝にひっかけて、手まりで遊ぼうとせがむのでした。
私がつけば子らは歌い、子らがつけば私がが歌う。そんなやりとりで知らぬ間に時間が過ぎていってしまう。
それを見て村の人は笑いながら通り過ぎていきます。手まりをつく音と子どものハシャグ声が聞こえてきます。
思索(詩作)する良寛さん(その2)(42/100)
小さいころ孔子の道を学びましたが、その教えの道にはほど遠く到底達することができません。
寺に入ってもその教えを伝えることもできずに、草庵とみなが呼んで今にも崩れ落ちそうな粗末な家に住んでいます。
それでもなおその道を捨て切ることもできず、半分は普通の人のように振る舞いながら、半分はお坊さんのような生活もしています。
どっちつかずの中途半端な暮らしです。
身を捨てて世をすくふ人も在るものを 草の庵でひまもとむとは
思索(詩作)する良寛さん(その3)(43/100)
出家して親兄弟とわかれてから、雲や霧のようにあちらこちらを足のむくまま気のむくまま歩き回ってきました。
ある時は山で仕事をする樵(きこり)さんや漁師さん、百姓さんと親しく話し合い、時には子どもと遊んできました。
身分の高い人だとか低い人だとか、そんなことはちっとも気にしないで心からつき合ってきました。
そしてまた行きたいところへいき、休みたい所で適当に横になって休んできました。
そんなことをしながら自分の好き勝手な事をしながら年を重ねています。
思索(詩作)する良寛さん(その4)(44/100p)
考えても考えてもいい案は浮かばない。
困ったなあ!困ったなあ!そう思っているうちに何時かは妙案も浮かんでくるものです。
みんな時が解決してくれるものです。
あせらなくてもいいのです。
星ひとつ流れて寒しうみのうへ
月を見るわれはいつしか夢の中 (とみ)
いく年かたのしみ人もあだし野の くさ葉の露となりにけるかな(親しい人たちはみんなこの世を去っていってしまった。)
思索(詩作)する良寛さん(その5)(45/100)
うん、そうだ。
子どもらと手まりをついたときの歌でも作ろうか。
これはいい詩(ウタ)ができそうだぞ。
袖裏繍毬直千金 袖裏'(シュリ)繍毬(シュウキュウ)直(アタイ)千金
謂言好手無等匹 謂(オモ)う 言(ワレ)好手等匹なし
箇裏意旨如相問 箇裏(コリ)意旨(イシ) 如(モ)し相問はば
一二三四五六七 ひふみよいむな
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