良寛さんの三嫌・三好(
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良寛さんには三つの嫌いなことがありました。
詩人の詩、書家の書、歌人の歌または料理人の料理。(「良寛游戯」 北川省一)
書家の書、歌詠みの歌、また、題をだして歌よみをすること(「大愚良寛」 相馬御風)
それらはどうも見た目ばかりで、心に触れるものがありません。
うまい下手は別のこと、心の中の物を写せば足りる、というのが彼の主眼です。
好きなことが三つありました。童男童女、手まり、オハジキ。これは言うまでもないことです。
大道太平の心を説く良寛さん(
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越後(新潟県)三島郡桐島村木村家の貼交(はりまぜ)屏風(びょうぶ)の中の一枚に「大道太平」という文字があります。
どういう時に書き残したのか解りませんが、良寛さんの人柄を偲ぶ上で大変興味のあることです。
「大道太平」となるには憎悪、かたいぢ、仇敵、我執、愛欲、ひいき、見方とかは争乱(あらそい)のもとですから、無我大我になれという教えです。
地蔵の下で雨宿りする良寛さん(
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托鉢の途中、急に雨が降ってきました。
近くには雨宿りするところがありません。
幸いなことに、お地蔵さんが深い編笠をかぶって立っていました。
良寛さんはその下にいき、雨の止むのを待っていました。
そこへ人が通りかかって、自分の家に案内してくれました。
そして書を書いてくれと頼みました。
良寛さんは、快く「いろはにほへと」の歌を大きな字で十二枚書いてやったといいます。
良寛さんは決して地蔵さんの傘を持って帰えるようなことはしませんでした。(「大愚良寛)相馬御風」
自分の字に見入る良寛さん(55/100)
良寛さんは周りのことには気にしない人でした。
しかし、どうしたことかこんなこともあった。
新潟町飴屋万蔵(まんぞう)という人が、良寛さんに看板を書いてもらいたいと思いました。
紙と筆を用意して、地蔵堂の知人の家に良寛さんを招いて、心からお願いしました。
良寛さんは困り果てて、「今日は厄日だ」とこぼしながら、しぶしぶ書いてやりました。
良寛さんは、嫌々ながら書いたので、出来ばえがどうだったか心配になって、わざわざ確かめに新潟までいき、その看板を見ながら、書いた時のことを思いだして、しばらくいったり来たりしたといいます。
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