糞(くそ)(68/100)
人には誰にも晩年があり命に限りというものがあります。
良寛さんにもそろそろそういう時期がおとずれたのでしょうか。力も気力も衰えてきました。
現在の良寛維宝堂(和島村木村邸内)主人・木村元周(もとちか)氏は良寛の壮年期と晩年の書を示しながら、その筆力について語ってくれました(昭和62年頃)。
書の判からぬ人でも成る程とうなづかれます。
床に伏している良寛さん、もう床から立ち上がる元気もありません。
お腹(なか)が痛くても誰もさすってくれる人もおりません。
夜中にトイレに立とうと思ってもたてません。
我慢にガマンの毎日、毎晩でした。ああ早く誰か来て、汚れた寝間着や布団を取り替えてくれないか・・・・ナァ。

  ぬば玉の夜はすからにくそまりあかしあからひく昼はかくやに走りあへなくに

  ことに出でていえはやすけりくだり腹(はら)まことにその身はいやたえがたし

  この夜らの いつかあけなん この夜らの明けはなれなば おみな来て はり(糞尿)を 洗はん こひまろび 長きこの夜を

裏を見せ表を見せる良寛さん(69/100) 
さすがの良寛さんも寄る年波には勝てず、生死の境(さかい)を彷徨(さまよ)うようになりました。
そんな時にも良寛さんは筆を持ち、歌を作ることにひたすら精魂をかたむけていました。

  かたみとて何かのこさむ春は花 夏ほととぎす秋はもみぢば

良寛さんはもう貞心尼とのお別れの時を知っていたのでしょうか。
今までのつき合いで自分の良い点、悪い点のすべてを包み隠すことなく、さらけ出してあなたと向き合ってきました。これ以上、もうあなたに告げるものは何もありません。

  いきしにのさかひはなれてすむ身にも さらぬわかれのあるぞかなしき   貞心

御かへし
  裏をみせおもてをみせて散るもみぢ    良寛

貞心の歌は「生き死にのさかひ離れて住む身」・・・・生死の境をはなれれば仏となる、仏となった僧尼の身にも別れは悲しいというのですが、それに答えて良寛の返句は「うらを見せおもてを見せて散る紅葉」が、末期(まつご)の一句となりました。(「定本『良寛游戯』北川省一」

天保二年正月六日の良寛さん(70/100)
良寛さんにもとうとう死ぬときがやってきました。
「なぜ良寛さんは出家したのですか」と人に尋(たず゛)ねられると、「この人に聞きなさい」と言っていたほど、信頼厚い遍澄(へんちょう)法弟の膝を枕に、ついに最後の息を引き取りました。
貞心尼も良寛の最後を見届けて、悲しみのうちに永遠(とわ)の別れを告げました。
亡き骸(がら)は能登屋の主人木村元右衛門が引き取りました。

  かたみとて何か残さむ春は花 夏ほとぎす秋はもみぢば   良寛

これが最後のことばでありまた。「かたみとて・・・・」の歌は良寛の在世時代、山田よせ子が短冊に形見として書いたもらったものでした。
これが良寛さんの最後の言葉ではないかといわれています。(由之「八重菊日記」御風「良寛と放蕩」)

  漸く人間(じんかん)に下(くだ゛)る、咨嗟(しさ)するを休めよ 万事皆是れ因縁に依る。
  他日もし機の成熟するに遭わば 再び来らん国上の古道場。

木村家蔵遺墨の中に、(ごく死期に近いものの頃)

  わがことやはかなきものはまたもあらじと おもへばいよよはかなかりけり

  いまよりはなにたのまむかたもなし おしへてたまへのちのよのこと

病躯の訴えのほかにも書き散らした幾つかの歌反古(ほご)が、彼の枕頭にありまた。
由之は、それらすべてを写し取っていました(絶筆)。

  由之に
    しほのりの山のあなたに君置いて ひとりしぬればいけりともなし

  貞心尼に
    あづさ弓春の野に出て若菜つめどもさす竹の 君とつまねばこ(籠)にみたなくに

  山田家のおよしさに
    くさの上にほたるとなりてちとせをも 待たむいもが手ゆこがねの水をたまふといはば

ああ・・・・ああ・・・・合掌・・・・ああ。
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