良寛禅師墓(75/100)
花崗岩(みかげいし)材。高さ:六尺(1尺=33センチ)。幅:5尺。
生前の良寛の意志とは全く異なる規模の墓となってしまいました。
これというのも当時の人々が、良寛さんを慕い、敬う心を大切にして、長く後世に伝えようとする一つの手段としたのではないでしょうか。

碑面:良寛禅師墓。

碑面裏:落髪して僧伽(そうぎゃ)と為り 食を乞うて聊か素を養う。
 自ら見ること巳に是の如し 如何ぞ 省悟せざらん。
 我れ出家の児を見るに 昼夜 浪りに歓呼す。
 祠口腹の為の故に、一生外辺に駑す。
 出家の道心無きは、 其の汚や 之を如何せん ・・・・(中略)・・・・ 吁嗟 何れの日にか寤めん。
 縦ひ乳虎の隊に入るも 名利の路を践むことなかれ。 ・・・・(中略)・・・・ 勉めよや後世子、自ら懽怖を遺すこと莫れ
乞食する良寛像(76/100)
食を乞いながら村々をあるく良寛さんの姿は、多分こんな格好だったんでしょう。
良寛さんは歩きながら、夕日で赤く染まった天に向かって、大きく手を打ち振るい、字を書く練習をしたり、児童(こども)たちのはしゃぐ姿や笑顔を思い浮かべては、詩作に耽っておったのかもしれません。

  春風、梢(や)や和調 錫(しゃく)を鳴らして東城に入る
  青々たり 園中の柳 泛々(はんばん)たり 池上の萍(うきぐさ)
  鉢は香る 千家の飯 心は抛(なげう)つ 万葉の栄
  古仏の跡を追慕して 次第に食を乞いて行く

  荒村に食を乞い了(おわ)って 帰り来る 縁岩の辺(ほとり)
  夕日 西峰に隠れ 淡月 前川を照す 足を洗って石上に上(のぼ)り 香を焚いて此(ここ)に禅に安ず
  我れ亦僧伽子(そうぎゃし) 豈に空しく流年を渡らんや

中村氏宅の未公開良寛像(77/100)
新潟県柏崎市の中村家には「恋学問防」など良寛と貞心尼との唱和の歌が、現在もそのままに、保存されています(資料)。
未公開のまま時を経てきた良寛和尚のその一つ(越後タイムス・平成六年五月二十七日付)の良寛像です。

  人の擲(なげう)つに任(まか)せ 人の笑うに任す 更に一物の心地に当る無し 話を寄す人生若し君に似ば 能く世間に遊びて何事か有らん

  かたみとて何か残さん春は花 山時鳥(ほととぎす)秋はもみぢ葉

  なんとなく心さやぎていねられず あしたは春のはじめと思へば

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