遍澄描く良寛像(78/100)
柏崎市の常福寺に保存されている良寛像は、良寛和尚に接した同時代の人・遍澄(へんちょう)の絵があります。
中村家の未公開の肖像とやや顔の相性が違います。
しかし、良寛の実弟・由之(ゆうし)の賛が書かれています。
良寛和尚の風貌(ふうぼう)を伝える伝記は、後援者の一人で、解良栄重(けらえいしげ)(牧ヶ花の地主)が、「良寛禅師奇話」に『隆準ニシテ鳳眼』と書いています。鼻が高く、切れ上がった細長い目の人であったようです。
近世の良寛和尚像に決定的な影響を与えているのは、画家・安田靫彦氏で、蔵雲編の漢詩集口絵が原型らしいが、中村家のものはその雰囲気を伝える部分があるといわれています。
(越後タイムス「平成六年五月二十七日より」)

漢詩集「良寛道人遺稿」口絵の良寛像(79/100)
慶応三年、前橋(群馬県)龍海院・蔵雲和尚が刊行した漢詩集に「良寛道人遺稿」というのがあります。
その本の口絵に掲載されている良寛の肖像は、鼻やアゴにかけての骨格が中村家のそれによく似ています。
(前掲77/100参照)

良寛堂(新潟県出雲崎町)(80/100)
良寛の生家・橘屋の跡地には現在、「良寛堂」があります。
また、日本海の遙かかなたに浮かぶ佐渡島に向って座る良寛の像も建っています。
家族の反対を押し切り、考えを通し、決然として故郷(ふるさと)を捨てたものの良寛さんの思いは、どんな形で心の奥底に残っていたでしょうか。
そんなことを思わせる長歌が数々あります。

  うつせみは 常なきものと むら肝(きも)の 心におもいて 家をいで う(憂)からをはなれ 浮雲の 雲のまにまに 行水(ゆくみず)のゆくえもしらず 草枕 たびゆく時に たらちねの母にわかれをつげたれバ 涙ぐミ 手に手をとり 我面(わがおも)を つくづくと見し おもかげハ

  父にいとまをこいけれバ 父がかたらく よを捨てし すてがいなしと 世の人に いわるなゆめと いいしこと 今も聞(きく)ごと おもえぬ 母が心のむつまじき

  佐渡島(さどしま)の山はかすみの眉(まゆ)引きて 夕陽まばゆき春の海原(うあんばら)
次のページへ
INDEXに戻る