灯籠(とうろう)の灯(あかり)で「論語」に読み耽(ふけ)る良寛(4/100)
栄蔵が11歳の 時、地蔵堂にあった大森子陽の狭川(せばがわ)塾に通い、本を読み、熟読しては 、深く考えることを学びました。
ある夏の夜のことでした。部屋に引きこもって 本ばかり読んでいるので、心配した母は村の宵(よい)祭りを見にいくように勧( すす)めた。しばらくして母親は、庭に怪しい人影をみつけ、後ろから静かに近 寄ってみると、それは、灯籠の火影(ほかげ)でなおも熱心に読みふけっている栄 蔵の姿でした。

願望爆発(光照寺に駆け込む良寛) (5/100)
15歳で元服し、「名主(なぬし)見習い」 役という役人の仕事につきました。これは代官さまと出雲崎の住民の間に入って、 いろいろな決まり事やもめ事を決める大切な仕事でした。しかし、世間の駆(か) け引きを知らない真っ正直な栄蔵にとっては、なかなか思うようにいかず、代官さ まからも住民からも嫌われてしまいました。そのことで、ずいぶん苦しんでいま した。
18歳の時でした。行きづまった今の自分にいたたまれず、「この仕事は自分には向かない」と悟(さと)り、「自分にはこれしかない」と両親や兄弟姉妹を はじめ親類縁者の反対をも押し切って、近くの光照寺(こうしょうじ)とい う寺の階段を一気に駆け登り、頭を剃(そ)ってお坊さんになってしまいました。
耐えに耐え押さえに押さえて、やっと自分の生きる道を見いだしました。この時の栄蔵の 気持ちを、作家の水上勉(つとむ)さんは「願望爆発」という4文字で表現しています。
お坊さんのお勤(つと)めのかたわら、ここでもひたすら読書と書の道に励 みました。


両親に別れをつげて他国に旅立つ良寛 (6/100)
22才の時でした。たまたま越後(新潟 県)に布教に来た円通寺の大忍国仙和尚(おしょう)に認められ、勧められるまま 、意を決して備中(岡山県)の玉島について行くことになりました。
父の以南( いなん)と兄弟姉妹は国境(くにさかい)まで見送りましたが、母の秀子(おのぶという説もある)は出雲崎の「虎岸(こがん)の丘」の上で去りゆく我が子の姿 が見えなくなるまで見送りました。良寛も後ろを幾度か振り返りながらの母親と の別れを惜しみました。そしてこれがまさか母親との永遠の別れになろうとは思 ってもいませんでした。それだけに良寛の母を思い、慕う心は人並み以上のもの があったと思います。
備中の玉島でも、難行、苦業に、そしてまた勉学に、精励これ勤め る毎日でした。僧名を良寛と名乗ったのもこの時でした。その頃のことを思って 作った詩が残っております。 
    少年捨父母奔他国   (少年父母を捨て他国に奔り )
    辛苦描虎猫不成     (辛苦、虎を描いて、猫だもならず)

    錫(シャク)を撮(ト)っ て親故に別れ、手を挙げて城エンを謝す
      (錫杖を打ち振って親族や知友に、手を 挙げながら互いにさようならをし別れを告げた)
親子の別れの辛さが切々と伝わ ってくる詩です。

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