「荘子」を読む若き良寛(7/100)
真の幸福とは財産がたくさんあること、権勢だの権力 があるというものではなくて、「悩みのないこと、感情が穏やかで、自然にかな った限度を超えないことである」と教える「荘子」を良寛さ んは読んでいます。
だから良寛さんは、「チーズを少し送ってくれたまい、したいと思えば豪遊することもできようから」、「貧乏は、自然の目的によってはかれば、大きな富である。これに反 して限度のない富は、大きな貧乏である。」と言い切っています。だから良寛さ んはどんな苦労でも乗り切ることができたのでしょう。

江戸の学者近藤万丈が四国で良寛らしい人と一夜を過ごす(8/100)
円 通寺での10年の修業の後、良寛は師の国仙和尚から、確かに悟ったという事を 証明する「印可(いんか)の偈(げ)」をいただきました。
しかし良寛は和尚の位(くら い)につこうともせず、また国仙和尚の死後は、お寺の跡継ぎ問題でゴタゴタも あって周囲の人から追われるようにして円通寺を後に、何処(いずこ)ともなく旅 立ちました。
それ以後、良寛さんの行方は杳(ヨウ)としてわかりませんでした。ところ が、江戸の学者近藤万丈が、はるばる土佐の国(四国)を行脚(あんぎゃ)していた 時のことです。日没のある日、ひどいにわか雨に逢い、貧しい庵(いおり)を見つけ雨宿りをお願いしました。その時のようすを万丈は「寝覚めの友」という本に まとめています。

「みすぼらしいお坊さんが一人いて、何を聞いても微笑( ほほえ)むだけで一言も物を言いませんので、はじめはこの人は狂人だと思っていました。部屋の中を見回すと、机の上には「荘子」という本がただ一冊置いてある だけで、そのほか何もありません。これはただ者ではないと思い、ちなみに懐か ら扇を取り出して賛(サン)をお願いしたところ、たちどころに筆をとり、扇に「冨 士の絵」と「書」を一気に書き、その後ろに「越州の産了寛書ス」と、したため たそうです。

この人がきっと越後の良寛さんではないかと言われています。

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