のろまの瞑想(12/100)
寺泊の空庵にあっても、良寛は相変わらず瞑想に耽っては、作詩に和歌にそして「書」の道に励み通す毎日でした。
しかし、何もしないでボーッとしている良寛さんを世間の人は、愚かでのろまなクソ坊主としか思っていませんから、人出の多い所に出ると人はクスクスと笑うけど、そんなのは一向に気にならない。笑わば笑え。

  これ余(われ)は疎慵(そよう=のろま)の者
  食を乞うて此地に遊ぶ。逢著(出会う)す 
  閙市(どうし=にぎやかな町)の裡 
  一笑して共に悠々たり。

  身を捨てて世をすくふ人もあるものを  草の庵にひまもとむとは

  世のなかはすべなきものと今ぞ知る 背(そむ)けば俗(なら=面倒)し そむかねば憂(う)し


蕨(わらび)を採って糧(かて)とする良寛 (13/100)
まだ若い頃には杖(錫=しゃく)をついて、あちらこちらを駆けめぐりながら、多くの先生の家を訪れていろいろなことを教えていただいてきました。
そんなことを続けて、もう何年になるでしょう。それというのも、自分の気持が自然のうちにみんなに分かってもらえるのではないかと思っていたからです。
残念ながら、その思いはまだまだ達せられそうにもありません。
たまにはすべてを忘れて切り立った岩山に上り、蕨を採(と)って朝夕の食事のたしにしよう。
という詩も残っています。

托鉢にと身支度する良寛(14/100)
良寛の詩から(1)
壮年の時のことを覚えている。暮らしははなはだ苦しかった。ただただ自分の衣食のためにのみ貧しい村々をあちこちと歩き回ったが一向にあがりがなく、むなしく庵に帰ってきた。

   記し得たり壮年の時、 資生(しせい)はなはだ艱難(かんなん)なりき。
   ただ衣食のための故に、貧里に空しく往還す。

良寛さんのこの苦しみは、これから先、どのくらい続くのでしょうか。

良寛の詩から(2)
   時々、街頭に出て托鉢しながら歩き回っているとき、
   他の人は自分の顔を知らないので、ただ単なる路上の汚らしい乞食坊主と思っている。
   修行中の身のことだから、今はそう思われてもしかたがない。

もっともっと苦学勉励、これ努めなければならない良寛さんでした。
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